現代に生きる私たちにとって、「明かり」はいつでもどこでもありますし、懐中電灯やスマホのライトを使えば簡単に明るくすることができます。
しかし、電気も電池もなかった時代はどうしていたのでしょう?
古代では、宗教的な考えから「火」は神聖なものとされていました。
では、そんな日本人の生活の中で、「明かり」はどのようにして生まれ、発展していったのでしょうか。
まず、日本の「明かり」は木などを燃やすことから始まりました。次に灯油を使うようになりますが、もともと灯油は燃えないため、灯芯というものを浸し、その灯芯を燃やして明かりとして使っていました。
こうした、油を使った明かりは、古墳時代や飛鳥時代には既に使われていたと考えられています。
灯油を「火皿」と呼ばれる器に入れ、灯芯と合わせて使っていたものが「灯台」です。
灯台も2つあり、広範囲を照らすために長さのある灯台と、手元を主に照らすための短いものの2種類が存在していました。
■灯台、瓦灯、そしてろうそく
ただ、昔の家は気密性が低いため、前者は隙間風などで消えがちでした。
そこで対策として風よけをつけたのが、反射板付きの灯台です。風よけは、風防のみならず光を反射させる役割もあり、こうした形態の明かりで代表的なのが、法隆寺の宝物「眠り灯台」です。
鎌倉時代も、今でいう「街灯」はありません。よって夜間は真っ暗で、京や鎌倉の大都市では火付け(放火)や強盗が多発しました。
室町時代後期には瓦灯(かとう・がとう)といわれるものが生まれます。屋根瓦と同じ土で焼かれているもので、灯明皿を載せる台に、釣鐘型の蓋をかぶせたもので、瓦職人が焼いて作っていました。明かりの高さや強さを調整できたため、重宝されました。
こうした灯台や瓦灯を、風防の観点からさらに改良して作り出されたのが「行灯(あんどん)」です。これも室町時代には存在していました。

行灯
行灯には扉があります。よって、本を読むときなどは扉を開けて直接的に照らしたり、それ以外の時は扉を閉めて、和紙越しの柔らかな光で照らしたりと、と2通りの使い方ができました。
もう一つ、代表的な明かりとして「ろうそく」が挙げられます。正式には「和ろうそく」と言います。

和ろうそく
油を使う明かりは安全性に欠け、取り扱いが大変でした。その意味ではろうそくの方が優れていましたが、しかし初期のろうそくは高価で簡単には手に入らないものでした。
もともとろうそく自体は奈良時代には存在していましたが、値段が下がり、一般に普及していったのは江戸時代に産業が発展してからです。
■戦国時代の「提灯」から現代へ
ろうそくは行灯よりも扱いが簡単で、ぼんぼりに入れれば風も防げます。また持ち運びもしやすいので、庶民の間で広まりました。
ちなみに、ぼんぼりがさらに発展し、灯台よりも手に入りやすい材料で作られるようになったのが「提灯」です。これの原型は、安土桃山時代には既に存在していました。

長崎ランタンフェスティバルの提灯
江戸時代にはようやく街灯も普及し始めます。それでも明るく照らされていたのはお店の前や遊郭や番所の門の近くのみで、町中が明るくなったとは言えませんでしたが、それでもとにかく、多種多様な「明かり」が一般に普及し、使われていたことが分かります。
その後、明治期に西洋式の明かりが輸入され、さらに高度成長期に「蛍光灯」が普及するなど、日本人の「明かり」の歴史は発展を遂げていきます。
また現代は、何かにつけて「環境」にも考慮する必要があり、そうした観点から、新しい光源であるLEDやOLED(有機EL)も有望視されています。私たちが当たり前のように用いている「明かり」にも、こんな歴史が存在するのです。
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