■加藤清正、半島で虎を仕留める

1592年と1597年にそれぞれ行われた朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の折、かの加藤清正(かとうきよまさ)は「虎退治」をしたことが知られています。彼だけではなく、黒田長政や島津義弘も虎を退治し、その肉を豊臣秀吉に送ったとされています。


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加藤清正(Wikipediaより)

加藤清正といえば、秀吉の「七本槍」の一人となるほどの名将で、幼い頃から秀吉に使えていた忠臣だったとされる人です。また、熊本城や名古屋城を築いた築城名人としても知られています。

後の関ヶ原の戦いでは東軍についたものの、それでも秀吉の息子である秀頼のことを気にかけており、徳川家康と秀頼の会見も実現した人です。

さて、ではその加藤清正が、なぜ突然「虎退治」を始めたのでしょうか。今回はその経緯を見ていきましょう。

まず秀吉による朝鮮出兵の経緯ですが、天下統一を果たした彼が次に目指したのは、東アジア交易の独占支配だったとされています。

彼は日明貿易の再開を目論んでおり、高価な特産品を貿易で手に入れることによって、膨大な富を手に入れられると考えました。そこで中国大陸を征服しようと、全国の大名に朝鮮出兵を命じたのです(朝鮮出兵の理由については諸説あり)。

その清正が「虎退治」をしたそもそものきっかけは、大陸での戦中、亡くなった兵士の遺体に虎が群がるようになり、彼の馬や家臣が襲われたことでした。

■「長寿」にこだわった秀吉

明との戦が長期化する中、明と朝鮮の国境付近にまで進出していた清正たち。しかし軍勢が山のふもとで陣を構えていると大きな虎が2日連続で襲ってきました。これに怒って、清正は火縄銃で虎を退治したといいます。


ちなみに、「加藤清正は槍で虎と戦った」というカッコイイ伝説がありますが、本当は銃で仕留めたというのが本当のところらしい、と言われています。

長寿には虎の脳みそが効く!?戦国武将・加藤清正らの朝鮮出兵で半島の虎が乱獲されたその理由


火縄銃

当時の朝鮮には、アムールトラやシベリアトラが多く生息していました。仕留めた虎の肉は、健康のためにと秀吉の元に塩漬けにして送られました。

そしてこの頃の秀吉は、「長寿には虎の脳みそが効く」と信じていました。彼がその健康法を知ったから虎の肉が送られるようになったのか、それとも虎の肉が送られるようになったことでその健康法を知ったのか、前後の関係は不明ですが、とにかく彼は長生きのために虎の肉を欲していたのです。

彼がそれほど長生きにこだわったのは、息子の秀頼が生まれたためでもありました。

また当時、朝鮮へ出兵していた武将たちは苦戦を強いられていました。そのため、秀吉のご機嫌を取ろうと虎狩りに躍起になっていたとも言われています。

黒田長政や島津義弘も虎の肉や皮を秀吉に送っていたのは先述の通りです。しかし、あまりにも虎の肉がたくさん送られてくるようになったため、「これ以上送ってくるな」という命令が出されてしまったとか。

長寿には虎の脳みそが効く!?戦国武将・加藤清正らの朝鮮出兵で半島の虎が乱獲されたその理由


アムールトラ

実際、この乱獲によって、朝鮮半島の虎は激減しました。

そして残念ながら、秀吉は61歳で没しました。
この没年を見ると、虎の肉が「長寿」という程の効果をもたらしたとは思えませんが、実際のところ、どれくらいの健康効果があるんでしょうね?

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