人々の「交流」が減ってしまった今だからこそ、江戸時代のお風呂文化を楽しみながら学んでみませんか?
現代から考えると驚きの文化や、今と変わらない風習まで、様々なお風呂事情が見えてきました。
■江戸時代のお風呂は庶民の社交場
現代の銭湯でも、そこで会った人と世間話をするといったことがあると思います。江戸時代もそれは同じで、江戸の町にいくつもあった(1813年ごろには、約600軒もあったそうです)湯屋は大人気でした。
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江戸時代には自分の家にお風呂があるのはほとんどなかったため、多くの人が階級を問わず銭湯に通っていました。

そして、刀を置く場所として2階に座敷が設けられていました。次第に、この座敷の使われ方が変化していきます。例えば、囲碁や将棋などを置き、だれもが会話しながら楽しめる社交場になっていったのです。
人々にとってお風呂は、大切なコミュニケーションの場でした。
■江戸中期までは混浴

当時は水も薪も貴重だったという理由から、江戸中期ごろまではお風呂は混浴だったといいます。混浴は当時の言葉で「入込湯(いりこみゆ)」と呼ばれていました。
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とはいえ、男性も女性も素っ裸で入るのではなく、江戸初期ごろは男性であればふんどしをしたまま、女性であれば湯文字(ゆもじ:腰巻のようなもの)をしたまま入っていたそうです。
男女ともに下着のようなものを着用して入っていたお風呂ですが、次第に裸で入るようになります。なかには性行為に及んでしまう人もいたとか。
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■自分の風呂桶を使う人も
現代でも、風呂桶を他の人と共有するのに抵抗がある人もいるでしょう。
それは江戸時代も同じだったようで、留桶(とめおけ)という自分の名前を書いた桶を置いておくこともできました。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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