都の公家たちと渡り合う社交術として、側近たちに蹴鞠を学ばせようと、源頼家(演:金子大地)が師範として平知康(演:矢柴俊博)を招きました。

この顔に見覚えあり……そう言えば木曽義仲(演:青木崇高)にブン殴られた鼓判官(つづみほうがん)。
皆さん、第14回放送「都の義仲」あたりをご記憶でしょうか。

更には後白河法皇(演:西田敏行)に振り回され、挙げ句の果てには丹後局(演:鈴木京香)から「出ていけ!」と追い払われ、と散々でしたね。

それが色々あって鎌倉に来ていたのですが、どんな経緯があったのでしょうか。今回はそんな鼓判官こと平知康について紹介したいと思います。

■意外?元々は北面の武士だった知康

平知康は生年不詳、北面の武士として後白河法皇に仕えた平知親(たいらの ともちか。従六位下壱岐守)の子として誕生しました。

父と同じく北面の武士として奉公し、京都洛中の治安維持を担う検非違使に任じられます。

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鼓の名手であった知康(イメージ)

鼓の名手であったために人々から鼓判官(つづみほうがん。判官は検非違使の別称)と呼ばれますが、かの義仲からは「お前はみんなに殴られたか、ビンタさられたか」と笑われてしまうことに(『平家物語』より)。

※大河ドラマでは可哀想に殴られていましたが、史実?では特に痛い目は見ていない様子。

その後、義仲と対立すると法住寺に兵を集めて一戦交えたものの、敗れて検非違使をクビにされてしまいます(寿永2・1183年11月19日、法住寺合戦)。

やがて鎌倉から上洛してきた源範頼(演:迫田孝也)・源義経(演:菅田将暉)が義仲を討伐すると、元暦2年(1185年)に検非違使に復帰。
やがて義経が検非違使になると、後任への引継ぎとして義経に接近、親密になっていきました。

この顔に見覚えあり…矢柴俊博が演じる鼓と蹴鞠の名人・平知康の意外な一面【鎌倉殿の13人】


法住寺に立て籠もり、木曽義仲と対峙する知康(櫓の上、最前の人物)。『平家物語絵巻』より

しかし義経が鎌倉に対して謀叛を起こし、都落ちすると知康も連帯責任で再び検非違使をクビに。

義経と親しかったのは確かだけど、決して自分は謀叛に加担などしていない……と弁解するため知康は元暦3年(1186年)に鎌倉へ下向。すると頼家の蹴鞠指南役として留め置かれ、そのまま取り立てられたのでした。

■終わりに

……というわけで知康はあの場にいたのですが、蹴鞠の才能を見せた北条時連(演:瀬戸康史)との間に、ちょっと?したやりとりなどが『吾妻鏡』に伝わっています。

そんな理不尽な!しょうもない理由で改名させられた鎌倉幕府の御家人・北条時連のエピソード

やがて建仁3年(1203年)に頼家が鎌倉を追放されるとお役御免となって京都へ帰り、そのまま歴史の表舞台から姿を消すのでした。

この顔に見覚えあり…矢柴俊博が演じる鼓と蹴鞠の名人・平知康の意外な一面【鎌倉殿の13人】


後白河法皇に仕えた知康ら北面武士たち(イメージ)

それにしても、鼓に蹴鞠と公家っぽいイメージが強い知康ですが、元々は武士だったのですね。ちょっと意外です。

果たしてNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では平知康がどのように描き切られるのか、これからも注目していこうと思います。

※参考文献:

  • 『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 後編』NHK出版、2022年6月
  • 『NHK2022年大河ドラマ 鎌倉殿の13人 続・完全読本』産経新聞出版、2022年5月

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