■虚無僧は普化宗の修行僧

「虚無僧(こむそう)」と聞いて、多くの人はその出で立ちをパッと思い浮かべられると思います。それくらい有名ですよね。


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尺八を吹く虚無僧

顔を隠して、なんだか謎めいたミステリアスな謎めいた雰囲気があることから、時代劇系のエンタメでも、独特の立ち位置でよく登場します。

この虚無僧とは何者だったのでしょうか?

実は虚無僧とは、禅宗の一派である「普化宗(ふけしゅう)」の修行僧のことを言います。普化宗は唐の普化和尚を始祖とし、日本には鎌倉時代に伝来しました。

心を無にして尺八を吹くことで煩悩を断ち、悟りを得ることを目指す宗派で、手には尺八を持ち、天蓋と呼ばれる大きな深い編笠を被って托鉢を行います。

天蓋を被るのは、世を逃れて隠者となった虚無僧が塵の世(俗世間)を往来する際に塵の風に目が染まらないようにするためと言われています。きちんと前が見えているのか心配になる大きさの被り物ですが、瞳孔という透かし窓が付いていて外を見渡せるようになっています。

■特権的存在だった虚無僧

虚無僧の中には武家出身の者が多くいました。僧でありながら帯刀を許され、武者修行や敵討ちのための旅を行うことができる珍しい存在だったようです。時代劇でも、虚無僧が武器を振り回すことが多いのは故なきことではなかったのです。

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大内宿と虚無僧

関所の通過も簡単で、要請がない限りは、その大きな天蓋を外して顔を出す必要がありませんでした。

これらは1614年、徳川家康によって出されたと言われる『慶長掟書』(けいちょうさだめがき)に記されており、いわば虚無僧とは幕府公認の僧だったのです。

普化宗の修行僧だけでなく、罪人や浪人、隠密などが隠れ蓑として虚無僧の姿に変装することもありました。
時代劇などで登場する虚無僧は、隠密の変装としてのアイコンなのだと言えるでしょう。

しかしこのことから、人々に狼藉を働く迷惑な虚無僧も増えていきました。そして明治時代になると普化宗は、政府によって強制的に廃止されてしまうのです。

では廃止された後、普化宗や虚無僧はどうなっていったのでしょうか。

■受け継がれる奏法

普化宗は宗派としては消滅しますが、京都の善恵院に明暗(みょうあん)教会、和歌山の興国寺に普化教会、京都の妙光寺に法燈(ほうとう)教会などが設立され、教会として存続することになります。

虚無僧も物乞いの手段の一つになったりして、だんだんとその姿を消していきました。しかしその尺八の音楽や技術は現代にも残っています。

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博多に一朝軒(いっちょうけん)という寺があります。現在に残る数少ない虚無僧寺の一つで、まだ普化宗の活動が盛んだった寛永年間のころに博多にやってきた明暗寺の僧によって開かれました。

ここには「一朝軒伝法竹」という尺八の音曲が伝わっています。一朝軒が明暗寺の流れを汲んでいることから明暗流とも呼ばれます。

明治時代に普化宗が廃止された際、この一朝軒も大きな影響を受けました。
しかし虚無僧の尺八の奏法は大切に受け継がれていたのです。

現在一朝軒では、60曲以上の音曲を会得することで免許皆伝を受けることができます。

参考資料

  • 歌舞伎美人
  • 伝匠舎 石川工務所
  • 福岡市 博多の豆知識vol.176「現代に伝わる虚無僧の尺八」

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