Japaaan読者の皆さんこんにちは。ライターの小山桜子です。
以前新吉原への行き方をご紹介しました。

田んぼの中をひたすら進む?江戸時代「新吉原」にはどうやって行っていたの?

今回は実際にお客になりきって、吉原遊郭に入ってみましょう!それではさっそく、ご案内。

■吉原大門

大門はお歯黒どぶで囲まれている吉原遊郭の唯一の入り口です。黒塗りで板葺き、屋根付きの立派な冠木門でした。

中に入ると更に豪華な建物が立ち並んでいましたので、それと比較すると幾分簡素に見えたようです。

夜明けとともに開門し、夜四つ(午後十時頃)に閉門しましたが、その後は脇の小さな袖門を利用できましたので、実質は深夜でも出入りできたようです。

吉原大門をくぐる時はたとえ身分の高い大名であっても大門の外で駕籠をおりなければならなかった(急患の医者のみ駕籠のまま通行可能でした)ので、ひとたび門をくぐれば異世界だったという事がここからもわかりますね。

女性の出入りは厳しく監視!江戸時代の吉原遊廓の入口「大門」は...の画像はこちら >>


■面番所

大門を入るとすぐ左手に面番所(めんばんしょ)という瓦屋根の建物がありました。

ここには町奉行所の隠密の同心がふたり、岡っ引きが交代で常駐していました。

交番のようなものですね。なぜこんなところで同心と岡っ引きが見張っているのかというと、吉原という土地柄、犯罪者などの「お尋ね者」たちが出入りしたり場合によってはかくまわれたりする可能性があったためです。

■四郎兵衛会所

女性の出入りは厳しく監視!江戸時代の吉原遊廓の入口「大門」は見張りだらけだった


歌川国貞『北廓月の夜桜』

面番所の向かい側、門を入った右手に四郎兵衛会所という板屋根の小屋がありました。


ここには番人が常駐していました。こちらは何を見張っていたのかというと、女性が大門を出入りするのを監視していたのです。

男性の場合は登楼する客であろうが商品をかついで売りに来る商人であろうがただの冷やかしの見物客であろうが誰でも出入り自由だったのですが(だからこそ犯罪者の監視が必要でした)、実は女性の出入りは誰であっても厳しく監視されていました。

具体的には、あらかじめ茶屋で通行書となる切手を手に入れておく必要があり、大門を通る際には四郎兵衛会所の番人に見せなければなりませんでした。切手を持っていない女性は大門から外に出る事ができなかったのです。

ここまでしてでも遊女の逃亡を防がなくてはならないほど、遊女の逃亡は絶えなかったという事、そして吉原が女性にとってつらい場所だったという事の実証でしょう。

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