相摸權守使者自京都到着。申云。
去十六日。催遣在京御家人等。於東山延年寺。窺播磨公頼全〔全成法橋息〕令誅戮之云々。

※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)7月25日条

【意訳】相模権守(源仲章)の使者が京都から鎌倉へ到着。使者の曰く「さる7月16日に在京の御家人らが東山延年寺にいた播磨公頼全(はりまこう らいぜん。全成の息子)を処刑しました」とのこと。

……京都で修行していた頼全(演:小林櫂人)の暗殺犯・源仲章(みなもとの なかあきら)。生田斗真さんが演じる仲章は、いかにも「自分の手は汚したくないけど、エグい事にもけっこう平気で(むしろ好んで)手を染める」嫌なヤツ感たっぷりの名演技でしたね。

※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第31回放送「諦めの悪い男」より。

さて、そんな仲章はどんな生涯を辿るのでしょうか。今後もちょくちょく出て来るはずなので、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習になればと思います。


■在京御家人としての活動

源仲章は生年不詳、源光遠(みつとお)の次男として誕生しました。

母親は不明、兄弟には源仲国(なかくに。兄)・源仲兼(なかかね。以下弟)・源仲雅(なかまさ)・源仲賢(なかかた)・源仲輔(なかすけ)・源光輔(みつすけ)・源仲季(なかすえ)・源頼季(よりすえ)・明喜(みょうき)……など子だくさん。光遠は全員の名前を覚えられたのでしょうか。

それはともかく、仲章は後白河法皇(演:西田敏行)に仕えた父と同じく院の近臣として後鳥羽上皇(演:尾上松也)に仕えます。一方で、鎌倉政権とも通じて在京御家人としても活動していました。

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後鳥羽上皇。仲章を通じて、鎌倉の遠隔操作を考えていた?(イメージ)

鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』における仲章の初登場は正治2年(1200年)11月1日。朝廷の命を鎌倉に伝える使者を派遣しています。

晴。相摸權守并佐々木左衛門尉定綱等飛脚自京都參着。
去月廿二日爲頭弁公定朝臣奉行。可追討近江國住人柏原弥三郎之由被宣下。是近年於事背 帝命之故也云々。

※『吾妻鏡』正治2年(1200年)11月1日条

【意訳】晴れ。京都にいる仲章と佐々木定綱(演:木全隆浩)から使者が到着。10月22日付で藤原公定(ふじわらの きんさだ)に対し、近江国の住人・柏原弥三郎(かしわばら やさぶろう)を討たせるよう命令が下ったとの報告。柏原が近ごろ勅命に従わないためだとか。

次に登場するのは源頼家(演:金子大地)より「頼全を討て」と命じられ、任務を遂行する場面。その後、鎌倉殿が千幡改め源実朝(演:柿澤勇人)に交代すると、教育係として鎌倉に招かれました。

■鎌倉と朝廷の二重スパイ?

古来「鳥なき郷の蝙蝠(こうもり)」とはよく言ったもので、京都では大した学績のなかった仲章でも、鎌倉政権では貴重な実務官僚として活躍できたようです。

鎌倉と朝廷の二重スパイ!?生田斗真が演じる源仲章の人違いエピソード【鎌倉殿の13人】


実朝に色々と指南する仲章(イメージ)

やんごとなき雅やかオーラが気に入られたのか、将軍御所の近くに館を与えられた仲章は実朝に都文化の薫陶を与える一方で朝廷に鎌倉の内部機密を伝えるなど二重スパイであったとの説もあるとか。

もちろん実朝の母である尼御台・政子(演:小池栄子)や叔父であり執権の北条義時(演:小栗旬)がこれをただ見逃すはずもなく、ある程度は鎌倉の情報を流しつつ逆に都の情報を引き出すなど、水面下での暗闘があったものと考えられます。


何食わぬ顔で鎌倉と京都を行き来しながら建保4年(1216年)には政所別当(長官に当たるが、複数名で職務を分担)となり、また建保6年(1218年)には幕府より従四位下・文章博士(もんじょうはかせ)に推挙されて昇殿を許される殿上人となりました。

もしずっと京都にいたら、果たしてここまでの立身出世は成ったでしょうか。きっと得意の絶頂であった仲章、しかし彼の運命はよくも悪くも実朝と共にあったのです。

■広元の目にも涙

さて、年も明けて建保7年(1219年)1月27日。仲章は実朝の鶴岡八幡宮寺参拝にお供します。

「ん?覚阿よ、いかがした」

覚阿(かくあ)とは出家した大江広元(演:栗原英雄)の法号(以下、広元)。鬼の目にも涙と言ったら失礼ですが、どういう訳か涙があふれて止まらない様子。実朝の問いに、広元は訴えました。

鎌倉と朝廷の二重スパイ!?生田斗真が演じる源仲章の人違いエピソード【鎌倉殿の13人】


ずっと鎌倉幕政に目を光らせ続けた広元。その目に涙が浮かぶ日が来ようとは……(イメージ)歌川国貞筆

「拙僧は成人してよりこの数十年、およそ泣いたことがございませなんだ。しかし御所(実朝)様のおそばへ寄ると、どうしても涙を禁じ得ませぬ。どうにも胸騒ぎが致します。
かつて亡き右大将(頼朝)が東大寺供養の折、束帯の下に腹巻(はらまき。腹囲を防護する鎧)を着けられたように、御所様もそうなされませ」

【原文】覺阿成人之後。未知涙之浮顏面。而今奉昵近之處。落涙難禁。是非直也事。定可有子細歟。東大寺供養之日。任右大將軍御出之例。御束帶之下。可令着腹巻給云々。

「……ふむ。
万一の備えは大切じゃな。いかがしよう」

実朝が諮問したところ、仲章はこれを却下します。

「いけません。大臣・大将ともあろう御方がそのようなことをなさった前例はございませぬ」

【原文】仲章朝臣申云。昇大臣大將之人未有其式云々。

「……左様か」

こうして実朝は仲章の進言に従って腹巻を着けずに参拝することとしました。さて、出かけようという時になって実朝は庭先の梅を見て、こんな歌を詠んだのです。

鎌倉と朝廷の二重スパイ!?生田斗真が演じる源仲章の人違いエピソード【鎌倉殿の13人】


軒端の梅(イメージ)

出テイナハ主ナキ宿ト成ヌトモ軒端ノ梅ヨ春ヲワスルナ
(出て去なば 主なき宿と 成りぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな)

【意訳】私が出て行ったら、ここは空家となる=私は二度と戻らない。しかし君(軒端の梅)は春を忘れないで=咲き続けて欲しい

これはかつて菅原道真(すがわらの みちざね)が詠んだ

東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

【意訳】春風が吹いたなら、香り高く咲いておくれ。私がいないからといって、春を忘れないでおくれ。

という名歌の本歌取り(オマージュ、リスペクト)。歌を愛した実朝らしい、これが辞世となったのでした。


■人違いで殺された仲章

さて、実朝ともども公暁(演:寛一郎)に暗殺されてしまった仲章。

しかし彼は別に公暁から恨まれていた訳ではありません。ではなぜ殺されたのかと言いますと、実は義時との人違いだったのです。

【原文】……右京兆俄有心神御違例事。讓御劔於仲章朝臣。退去給……

建保7年(1219年)1月27日、鶴岡八幡宮寺への参拝当日。太刀持として実朝の側に従っていた義時は、にわかに心神に違例(不調)を訴え、仲章に役目を代わってもらいました。

そこへ公暁がやって来て「実朝の側にいるのがにっくき執権・義時に違いない」と勘違い。まとめて殺してしまったということです。

鎌倉と朝廷の二重スパイ!?生田斗真が演じる源仲章の人違いエピソード【鎌倉殿の13人】


『鎌倉星月夜』より「禅師公暁実朝公を討図」。左にうずくまって太刀を抜こうとしているのが仲章か。あるいは既に仰向けで倒れている男(公暁の左足元)か。

……仲章ガ前駈シテ火フリテ有ケルヲ義時ゾト思テ。ヲナジク切フセテコロシテウセヌ……
※『愚管抄』第六巻

【意訳】仲章が実朝を先導して松明をかかげているのを義時だと思って、実朝と同じく斬り殺して逃走した。

このことから、実朝暗殺の黒幕(真犯人・首謀者)が義時に違いないとする説も提唱されますが、自分に都合のよい後継者さえ確保できていない状況下での暗殺は愚策以外の何物でもありません。

実朝暗殺の黒幕については別稿に委ねるとして、実朝の側近として活躍した源仲章の活躍・暗躍をNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ではどのように描き上げるのか、生田斗真さんの演技に注目ですね。

※参考文献:

  • 五味文彦『吾妻鏡の方法 事実と神話にみる中世』吉川弘文館、2000年11月
  • 坂井孝一『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』PHP新書、2020年12月
  • 坂井孝一『源実朝 「東国王権」を夢見た将軍』講談社、2014年7月

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