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日本、中国、台湾がそれぞれ領有権を主張。尖閣諸島の歴史とは?その1
日本、中国、台湾がそれぞれ領有権を主張。尖閣諸島の歴史とは?その2
尖閣諸島とは、東シナ海の南西部にある島嶼群(とうしょぐん)のことです。石垣島北方約130から150キロメートル地点に点在し、魚釣島、北小島、南小島、久場島、大正島、沖の北岩、沖の南岩、飛瀬などの5島3岩礁から成っており、総面積は約5.56平方キロメートルです。
日本人居住者がいた時期もありましたが、1940年(昭和15年)ごろ以降はいずれも無人島となっています。現在日本と中国(中華人民共和国)および台湾(中華民国)がそれぞれ領有権を主張しています。
日本政府の公式見解は尖閣諸島の編入手続きは国際法でいう先占の法理手順を満たしており「この領域に領有権問題は存在しない」というものですが、中国政府や中華民国政府は、1971年以降から領有権を主張して「領有権問題が存在する」と主張しています。
日本の行政区分では沖縄県石垣市に属しますが、中華民国は宜蘭県に属すと主張しています。どうしてこのような事になったのか、前回に引き続き日本側の歴史を振り返りましょう。
魚釣島(外務省 資料より)
■台湾上陸
前回は第二次世界大戦での日本の敗戦の結果、連合国最高司令官指令 (SCAPIN) 第677号により米軍の直接管理下に置かれていた尖閣諸島を含む南西諸島でしたが、沖縄返還協定に基づき、1972年5月に沖縄の一部として尖閣諸島の施政権も無事に日本に返還されました。
胸を撫で下ろすのもつかの間。
これに対して同年9月10日、琉球政府は改めて尖閣諸島の領有を宣言。鉱業権の認可を認めることとしました。
魚釣島には青天白日旗が建てられていましたが、同年9月15日までに米民政府の指示に基づき琉球政府が旗を取り外したのでした。

■中国の抗議と日本への所有権移転
1978年(昭和53年)に古賀善次が死去しましたが、後継者がなく所有権は友人に譲渡されました。
同年には政治団体日本青年社が魚釣島に私設灯台を建設し、保守管理してきました。
日本国政府からの「灯台を正式に海図に記載し、今後は国が灯台の管理をしていきたい」との申し出により、2005年(平成17年)2月に灯台は国に譲渡され、海上保安庁によって魚釣島灯台として管理されています。
その他、北小島にも灯台があります。
中曽根内閣(1982年 – 1987年)の際に、海上保安庁は魚釣島に仮設ヘリポートを設置し、これに対して中国政府は抗議しました。
このヘリポートは撤去されましたが、中国人の不法侵入を受けヘリポートを常に使えるようにしないのかとの民主党の松原仁の質問に対し、第2次小泉内閣の杉浦正健内閣官房副長官は必要性や保守整備の観点から必要性がないと答弁しています。
2000年(平成12年)、魚釣島に尖閣神社が建立された。
2012年(平成24年)、東京都が魚釣島、北小島、南小島の購入を表明しました。3島の土地所有権は1932年(昭和7年)に長男善次に払い下げとなったあと、妻が所有し、1970年代に埼玉県内の親交のあった人物に売却されていました。
また、魚釣島、北小島、南小島の3島は、国有化前の2002年(平成14年)から総務省が埼玉県在住の地権者と賃借契約を締結していました。
同年9月11日、日本政府は魚釣島、北小島および南小島の3島を埼玉県在住の地権者から購入し、日本への所有権移転登記を完了しました。これによって私有地は久場島のみとなったのです。
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