戦国時代では火縄銃が活躍し、それ以降の時代では機関銃が戦いの主戦力として活用されました。そんな鉄砲ですが、日本で生産されるまでには一悶着あったようです。
今回は「鉄砲が生産されるに至った秘話」を紹介します。
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戦国時代のハニートラップ!日本初の火縄銃づくりに貞操を捧げた17歳の乙女「若狭」【前編】
■鉄砲伝来
1543年、ポルトガル人が日本の種子島に鉄砲を持ち込みました。種子島の人々は、はじめてみる武器に興味津々だったようです。
物珍しさで鉄砲の試し撃ちを見学した人々は鉄砲の性能を見て驚愕。爆音と共に放たれる高速の鉛弾は命中した甲冑の内部を大きく破損させ、その破壊力に腰を抜かした人もいるとか。音が聞こえたと思った瞬間に目標物を射抜いているという状態にも、さぞかし驚いたことでしょう。
当時、種子島の領主だった種子島時堯も銃の性能に興味を示し、2,000両を払って2丁の鉄砲を買い取っています。
■生産・複製依頼
鉄砲が強力な武器になることを見越した時尭は、種子島で腕利きと評判の刀鍛冶「八板金兵衛」に鉄砲の生産・複製を命じます。
優秀な刀鍛冶であった金兵衛は、鉄砲を解体することなく、本物と見まがう複製品を完成させ周囲を驚かせました。しかし、トリガーを引いても弾丸は放たれません。
当時の日本には、まだ存在しない「ネジ」の技術が足りなかったのです。
■日本初となった西欧人との結婚
まだ見ぬ未知の技術に、鉄砲制作は行き詰まってしまいます。
芳しくない状況を見かねた金兵衛の娘「若狭」は自身がポルトガル人に嫁いで、鉄砲の技術を聞き出すことを提案。当時は国際結婚の前例がなく、若狭も16歳と言う若さで不安も大きかったことでしょう。
しかし、若狭は1543年8月にポルトガル人のフランシスコ(牟良叔舎)のもとへ嫁入り。偽装結婚ではありましたが、日本人と西欧人との結婚はこのときが日本初だったと言われています。
■鉄砲の完成とニセ葬式
若狭は結婚後、フランシスコのツテを頼って鉄砲技師を探すためにポルトガルへ渡りました。そして翌年には、ポルトガル人の鉄砲技師を連れて日本へ帰国しています。
こうして、金兵衛はポルトガル人の鉄砲技師からネジの原理を教わり、鉄砲の完成に成功したのです。
鉄砲の技術を盗み終えた若狭については、八板家系図に「帰国直後の若狭を大病で死亡したことにして棺に納め、葬儀を出した」と記述されています。
葬儀の様子を見たフランシスコについては、「呆れ果てて涙も出なかった」という説と「愛情すらなく涙が出なかった」という2つの説があるようです。
■現代でも活用されるネジの技術
偽装結婚やニセ葬式をおこなってまで若狭が日本へ持ってきたネジの技術は、現代でもベッドやタンスなど多くの家具に取り入れられています。
捨て身の覚悟で南蛮人から情報を盗んだ若狭の行動については賛否あるかもしれませんが、日本のものづくりを大きく発展させるキッカケになったことは間違いないでしょう。
今回は「鉄砲が生産されるに至った秘話」を紹介します。
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1543年、ポルトガル人が日本の種子島に鉄砲を持ち込みました。種子島の人々は、はじめてみる武器に興味津々だったようです。
物珍しさで鉄砲の試し撃ちを見学した人々は鉄砲の性能を見て驚愕。爆音と共に放たれる高速の鉛弾は命中した甲冑の内部を大きく破損させ、その破壊力に腰を抜かした人もいるとか。音が聞こえたと思った瞬間に目標物を射抜いているという状態にも、さぞかし驚いたことでしょう。
当時、種子島の領主だった種子島時堯も銃の性能に興味を示し、2,000両を払って2丁の鉄砲を買い取っています。
■生産・複製依頼
鉄砲が強力な武器になることを見越した時尭は、種子島で腕利きと評判の刀鍛冶「八板金兵衛」に鉄砲の生産・複製を命じます。
優秀な刀鍛冶であった金兵衛は、鉄砲を解体することなく、本物と見まがう複製品を完成させ周囲を驚かせました。しかし、トリガーを引いても弾丸は放たれません。
当時の日本には、まだ存在しない「ネジ」の技術が足りなかったのです。
■日本初となった西欧人との結婚
まだ見ぬ未知の技術に、鉄砲制作は行き詰まってしまいます。
芳しくない状況を見かねた金兵衛の娘「若狭」は自身がポルトガル人に嫁いで、鉄砲の技術を聞き出すことを提案。当時は国際結婚の前例がなく、若狭も16歳と言う若さで不安も大きかったことでしょう。
しかし、若狭は1543年8月にポルトガル人のフランシスコ(牟良叔舎)のもとへ嫁入り。偽装結婚ではありましたが、日本人と西欧人との結婚はこのときが日本初だったと言われています。
■鉄砲の完成とニセ葬式
若狭は結婚後、フランシスコのツテを頼って鉄砲技師を探すためにポルトガルへ渡りました。そして翌年には、ポルトガル人の鉄砲技師を連れて日本へ帰国しています。
こうして、金兵衛はポルトガル人の鉄砲技師からネジの原理を教わり、鉄砲の完成に成功したのです。
鉄砲の技術を盗み終えた若狭については、八板家系図に「帰国直後の若狭を大病で死亡したことにして棺に納め、葬儀を出した」と記述されています。
葬儀の様子を見たフランシスコについては、「呆れ果てて涙も出なかった」という説と「愛情すらなく涙が出なかった」という2つの説があるようです。
■現代でも活用されるネジの技術
偽装結婚やニセ葬式をおこなってまで若狭が日本へ持ってきたネジの技術は、現代でもベッドやタンスなど多くの家具に取り入れられています。
捨て身の覚悟で南蛮人から情報を盗んだ若狭の行動については賛否あるかもしれませんが、日本のものづくりを大きく発展させるキッカケになったことは間違いないでしょう。
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