Googleマップより。
アラハバキと言えば、古代から東北地方を中心に信仰されてきた土着神。あまり関東でお祀りされているイメージなかったのですが、どういう由来があるのでしょうか。
興味が湧いたので現地へ参拝したり、文献を調べたりなどしてみました。
■アラハバキ神祠へ参拝してきた
現地はJR本郷台駅から南へ約1キロのところにあり、栄消防団第四分団第一班の詰所脇から細い道を上ってすぐです。

消防団の詰め所が目印。筆者撮影
本当に注意しないと気付かないくらい細い道で、ちょっと入ると赤いひらがな文字で「あらはばきがみ」と小さな看板があります。
夕暮れ時に行くのはちょっと怖いですね(神社仏閣などの参拝は日中の明るい内に)。

アラハバキ神祠への入り口。勇気を出して進みましょう。筆者撮影
階段を上っていくとすぐ分かれ道があり、真っ直ぐ行くと火の見櫓に、アラハバキ神祠はヘアピンカーブに左折します。

間違えて直進しても、すぐ行き止まりになるので迷う事はない。
ここにも「あらはばきがみ」と表示があるので、間違えることはないでしょう。しかし、どうして赤い文字なんでしょうか。やっぱり薄気味悪いですね。
神祠はすぐ上がったところに鎮座しています。石造りの祠には梵字らしきものが刻まれた角石が納められ、小さくも人々の信仰を受けてきた風格を漂わせます。

アラハバキ神祠に到着。車道から10メートルくらいしか離れていないはずなのに、森閑とした佇まいを守っている。筆者撮影
心静かに参拝して下山すると、消防団詰所の反対側に流れる小川に「あらはばきはし」がかかっていました。
この神祠と橋については明治時代に編纂された『神奈川県皇国地誌 相模国鎌倉郡村誌』にそれぞれ記述があり、江戸時代以前から伝わってきたことが判ります。

アラハバキ神祠。祠の中に収められた角石と、その上に乗せられた丸石に風格を感じる。筆者撮影
荒伯耆社(アラハハキ)この御霊社(ごりょうしゃ。
同社(御霊社、式外村社)北方にあり
荒伯耆橋(アラハハキ)
北の方同村と入会字内耕地なる前者の稍(やや)上流に架し里道を通ず
長二間幅四尺土造修繕同上(※民費を以てす)
※『神奈川県皇国地誌 相模国鎌倉郡村誌』鎌倉郡公田村より(読み仮名や注釈など筆者)

小川に架かる、あらはばきはし(荒伯耆橋)。かつては村民の手により土橋がかけられていた。筆者撮影
現在の「あらはばきはし」は往時の寸法(長二間≒3.6メートル×幅四尺≒1.2メートル)よりちょっと小ぶりながら、ここに架かっていたことを示すために造ったものと思われます。
ところで、アラハバキとはどんな神様なのでしょうか。
■古代から信仰される道祖神・製鉄の神様【諸説あり】
アラハバキは記紀神話(古事記、日本書紀。日本神話の公式ストーリー)には登場しない土着の神様で、漢字では荒脛巾・荒吐・荒覇吐・阿良波々岐・荒羽々気などと書かれます。
今回の神祠は荒伯耆(アラハハキ)と表記されており、伯耆(ほうき。律令国家の一、現:鳥取県西部)の旧仮名遣い。何か山陰地方との関係があったのかも知れませんね。

アラハバキ神のイメージとして知られる遮光器土偶(青森県亀ヶ岡遺跡出土)。画像:Wikipedia
アラハバキの性質については諸説あり、人々の道中安全を守る塞ノ神(道祖神)や製鉄を生業とした蝦夷の氏神、あるいは大和王朝に討伐されたナガスネヒコ(長脛彦)を祀ったとするなど様々です。
他にもアイヌ語で女性器を意味する(鳥居や祠が女性器で男性器≒蛇≒山の神を祀る)とかハハは蛇(山の神。男性器の暗喩)の古語とも言われ、下半身(足腰などの健康はもちろん、旅や移動なども含む)に関するご利益があると言われます。
アラハバキ神今回初めてアラハバキ神祠に参拝しました。他の神社ではどのように祀られ、どんな伝承があるのか調べてみたいですね。
東北地方の津軽や出羽などで見られる民俗神ですが、なぜ本郷に存在するのか諸説あります。平安期、山内荘本郷と呼ばれた頃、東北から移住した鍛冶集団の神、あるいは鎌倉下の道を通して伝わった旅や足腰の神などが考えられています。
※わが町自慢 横浜市栄区
※参考文献:
- 神奈川県図書館協会 郷土資料編集委員会『神奈川県皇国地誌 相模国鎌倉郡村誌』神奈川県図書館協会、1991年1月
- 松前健『日本神話の形成』塙書房、1970年12月
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