2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも出てくるたびに話題になる「双六(すごろく)」。その歴史を紐解いてみると、かなり古くまでさかのぼり、禁止令まで出されたこともありました。


今回の記事では、そんなすごろくの日本における歴史について迫ってみたいと思います。

■現代のスタイルとは違う絵双六(えすごろく)とは?

すごろくと言っても、現代の私たちが遊んでいるのは「絵双六(えすごろく)」というもので、紙に絵をかいてマスをつくり、さいころを振って駒を進めていくゲームです。

日本に初めて入ってきたすごろくは、絵双六ではなく、「盤双六(ばんすごろく)」というものです。

禁止令が出たことも!『鎌倉殿の13人』でも話題になった「双六...の画像はこちら >>


盤双六で遊ぶ様子

盤双六は2人で遊ぶボードゲームです。さいころを使ってそれぞれ持っている15個の石を先にすべてゴールさせた方が勝ちというルールです。朝鮮半島を経由し、遅くとも7世紀ごろまでには日本に伝わっていたのではないかとされています。

■持統天皇による禁止令

盤双六は人気の遊びとなりました。『日本書紀』によれば、689年の12月に持統天皇によって双六の禁止令も出されました。単なる遊びにとどまらず、賭け事として楽しむ人が増えてしまったことが理由だとされています。

■文学作品にもたびたび登場

双六が人気だったことは、さまざまな文学作品に記述が見られることからもわかります。たとえば、『源氏物語』『枕草子』『平家物語』『徒然草』『蜻蛉日記』『栄華物語』『大鏡』『今昔物語』『平治物語』などです。

■絵双六の発達

現代の私たちが遊ぶような絵双六は、「仏法双六」が日本最古のものだと考えられています。
絵は描かれていませんが、仏教の教えを僧に説くために作られました。

いい目が出れば天上に、悪い目が出れば地獄に行くというものでした。また、17世紀中ごろには、極楽浄土を目指す「浄土双六」も登場しました。

それから、浮世絵の流行とあわせて絵双六が発展していきました。「道中双六」は東海道五十三次の宿場が描かれ、それを進んでゴールを目指すというものです。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです!

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