それはともかく、どうして野の心と表すのでしょうか。ちょっと気になったので、調べてみました。
今回は野心の語源について、雑談のネタなどに知っておくのも一興でしょう。
■生まれたばかりの赤子を前に……
野心という言葉が登場するのは、古代中国の『春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)』。
孔子(こうし。B.C551?生~B.C479没)がまとめたと伝わる書物で、西暦にして紀元前700年ごろからおよそ250年にわたる魯(ろ)国の歴史が綴られています。
湯島聖堂の孔子像(画像:Wikipedia)
その第十巻・宣公(せんこう。在位B.C608~B.C591)の時代に、こんなことがありました。
……楚司馬子良生子越椒。子文曰必殺之。是子也熊虎之状面豺狼之聲。弗殺必滅若敖氏矣。楚(そ)国の司馬であった子良(しりょう。闘子良)が男児を授かり、子越(しえつ。諺曰。狼子野心。是乃狼也。其可畜乎……
※『春秋左氏伝』巻十宣公(四年)より
【読み下し】楚の司馬子良、子越椒を生む。子文曰く、必ず之(これ)を殺せ。是の子や、熊虎(ゆうこ)の状にして豺狼(さいろう)の声なり。殺さずんば必ず若敖(じゃくごう)氏を滅さん。諺に曰く、狼子(ろうし)は野心なりと。是れ乃(すなわ)ち狼なり。其れ畜(やしな)ふ可(べ)けんや。
「見ろ。姿は熊や虎のよう、声はヤマイヌ(豺)か狼のようではないか。生かしておけば、必ず我ら若敖(じゃくごう)一族を滅ぼすことになろう」
生まれたばかりの赤子を前に随分なご挨拶もあったものですが、子文は言葉を止めません。

どれほど歳月を経ようと、狼は生まれてから死ぬまで狼。犬ではないのである(イメージ)
「ことわざにも言うではないか。『狼の子は野性の心を忘れない』と。この子はまさに狼、決して養ってはならぬぞ」
ここに「狼子は野心なり」と出てきました。要するに狼は子供のころからどんなに飼いならそうとしても、必ず何かの拍子に人間を襲う野性を秘め続けているということです。
つまり野心とは「隙あらば主人を害する野蛮な心」であり、例えば裏切り者などに対して「本性を現したな!」と言ったニュアンスが近いでしょう。
それで主人(あるいは上位者、敵対者)に刃向かい、とって代わろうとする上昇志向や反抗心を野心と呼ぶようになったのでした。
■野心的だった子越の後日談
ちなみに、祖父から「殺せ」と命じられてしまった子越ですが、その後どうなったのでしょうか。
……子良不可。子文以爲大慼。及将死聚其族曰。椒也知政。乃速行矣。無及於難。且泣曰。鬼猶求食。若敖氏之鬼不其餒而……「嫌です!いくら父上の仰せとは言え、我が子を殺すなどできませぬ!」
※『春秋左氏伝』巻十宣公(四年)より
【読み下し】子良可(き)かず。子文以て大慼(たいせき)と為す。将に死なんとするに及びて、其の族(ともがら)を聚めて曰く、椒や政を知(治)らば乃ち速に行れ。難に及ぶこと無かれと。且つ泣いて曰く、鬼(き)猶ほ食を求めば若敖氏の鬼其れ餒(飢)ゑざらんやと。
そこで子文はこれを大いに憂い、いよいよ寿命が尽きる前に一族を呼び集めて遺言しました。
「よいか。子越が政治を執るようになったら、ただちに楚国から立ち去り、災いの及ばぬようにせよ」
「父上……そんなにこの子が憎いですか」
「そうではない。しかしその子は必ず我らが一族を滅ぼし、祖霊を祀る者はいなくなって(供え物がなくなり、祖霊は飢えて)しまうだろう」

若敖氏の滅亡(イメージ)
果たして子文の予言通り、若敖氏は本当に滅亡してしまいます。子越は主君である楚の荘王(そうおう)に謀叛し、返り討ちにあってしまうのでした。
実に野心的であった闘椒の生涯については、また改めて紹介できればと思います。
※参考文献:
- 塚本哲三 編『春秋左氏伝 上』国立国会図書館デジタルコレクション
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan