徳川家康のブレーンと言われた人物で、有名な天海(てんかい)という僧侶がいます。彼は家康の代から、三代にわたって徳川幕府の将軍に側近として仕えました。
天海僧正(Wikipediaより)
彼の生まれは会津で、現在の福島県です。出家したのは11歳のときで、比叡山で14歳のときから天台宗の教義を学び、その教義を修めました。
家康の「知恵袋」「懐刀」であり、徳川時代の統治体制の構築は彼なくしてはありえなかったと言われています。
また天海僧正は聡明なだけではなく、非常に頑丈で健康的でもありました。彼の頭脳は、その肉体によって支えられていたと言っても過言ではないでしょう。
彼の健康長寿ぶりは、30歳が平均寿命とされた江戸時代の初期に、なんと108歳まで生きたことからもうかがえます。
そんな彼の健康のための極意は、何だったのでしょうか。
■オナラも大切!?
有名なエピソードとして、徳川家康が天海に長生きの秘訣を尋ねたときのものがあります。彼はこう答えました。「長命は、粗食(そじき)、正直、日湯(ひゆ)、陀羅尼(だらに)、折々ご下風(かふう) 遊ばざるべし」。
現代風に言えば、「長生きの秘訣は、粗食を心がけ、正直に生活し、きちんと風呂に入り、読経のときのような呼吸につとめ、たまにオナラをしてリラックスするべし」ということです。

天海大僧正像
特に、リラックスすることの大切さと問いている点は、かなり現代的と言えるでしょう。
また、健康法の説明で、よりによって「たまにオナラ(下風)をしなさい」と答えた人は、古今東西でもこの人だけではないでしょうか? 確かに緊張するとオナラも出せませんからね。
戦国時代が終わったとはいえ、天下統一はまだなされたばかり。人々がいかに常日頃から緊張状態におかれていたかが伺えるようです。
さらに、ここで注目したいのは、長生きのための第一の秘訣に粗食(そしょく・そじき)を挙げていることです。
■現代に通じる「食」の大切さ
今、粗食と言うと「粗末な食事」というイメージですが、天海が述べたのは素朴な食事、素のままに近い食事、つまり素食と言うべきものと考えられています。
素食というのは、新鮮かつ良質の食材を使った、味付けがあまり濃くない料理を指します。こうした料理がいかに身体にいいかは、少しでも食事健康法を調べたことがある人なら、すぐに理解できるでしょう。
当時は、もちろん現代のような栄養学の知識体系は存在していませんでしたが、僧侶としての生活の中で、食べ物と自分の体調の関係については、知識としても経験としても深く理解していたのでしょう。

駿府城公園の徳川家康像
ちなみに徳川家康も大変な健康オタクで、四季の食材や体を冷やさない調理法、薬の調合にまで自ら気を配っていたといいます。彼のこうした気質と、天海僧正の広範な知識は相性が良かったのでしょう。
【後編】では、天海僧正が特に好んで食べていたあの食材を解説します。
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参考資料
永山久夫「賢食物語第12話 賢人たちの食術 「天海」と「納豆」」
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan