■「江戸」が「東京」になったのは明治維新がきっかけ
「東京」という名前自体は新しく、明治維新がきっかけで生まれました。それまで日本の中心地は「江戸」と呼ばれ、幕府が置かれていました。1868年(慶応4年)に、7月17日に天皇の詔書により
「江戸は東日本で一番の都市であり、四方から物が集まる地である。自らがその政治をみるべきであり、以後江戸を東京と呼ぶこととする」
と宣言され、江戸が東京となりました。
■首都は簡単には決まらず!?
江戸幕府があった場所なのだから、そのままそこを首都にすれば良い、と簡単に「東京」決定したわけではありませんでした。明治政府内には、大坂(今の大阪)を首都にすべきではないかという意見もありました。
ちなみに、この大坂遷都論を提言したのは、あの有名な大久保利通です。
大阪都構想は幕末から?維新の元勲・大久保利通が計画していた幻の「大阪遷都」
しかし、公卿らの保守派の激しい反対にあいます。そして、前島密による「江戸遷都論」という建白書が大久保に届けられます。その後、大久保も江戸を東京とすることが良い、と賛成していきます。
■「東京」という名前の由来
歌川広重 画
「東京」という名前は、京都に対して東にあるから(「東の京」=「東京」)という理由で付けられました。
漢字とその読み方は、明治中期ごろに統一され、現在私たちが使うように「東京(とうきょう)」となりました。
■明治維新のずっと前に「東京」という地名を発案した人物がいた!?
「東京」という名前が使われるようになったのは明治維新のとき、と先ほどご紹介しました。しかし、それ以前にも「江戸」を「東京」と呼んだ人物がいました。
それは、江戸時代後期の学者であった佐藤信淵(さとうのぶひろ)。1823年(文政6年)に、『宇内混同秘策(うだいこんどうひさく)』という著書の中で、江戸を東京、大坂を西京とする東西両京論を発表していたのです。これは、黒船来航の約30年も前のことです。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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