今回の記事では、そんな「藤枝心中」について詳しくご紹介したいと思います。
こちらの記事も合わせてどうぞ
恋の手本になりにけり…大ブームを巻き起こした江戸の三大心中を紹介
■「藤枝心中」の中心人物たち
藤枝心中が有名である理由は、関わった人物にもありそうです。というのも、男性は江戸の旗本・藤枝外記(こちらは通称で、藤枝教行(ふじえだ・のりなり)とも呼ばれます)だったためです。彼は裕福な武士で、石高4000石でした。彼には妻がおり、2人のあいだには3男1女をもうけています。
彼の心中相手が、京町二丁目の大菱屋の遊女・綾絹(あやぎぬ)(綾衣、または琴浦とも呼ばれます)でした。ちなみに、彼女はこの出来事の当時19歳で、外記の妻と同い年でした。
■「藤枝心中」のいきさつ
藤枝心中は天明5年(1785年)に起こりました。外記と綾絹は深い仲になっていましたが、裕福な商人が綾絹を身請け(金を出して年季証文を買い取り、遊女の身柄をもらい受けること)するという話が持ち上がります。
外記はこのことにショックを受けます。いくら高給取りの旗本という身分であっても、財力で勝つことはできないためです。
自暴自棄に陥った外記は、綾絹を連れ出します。
このとき、外記は28歳、綾絹は19歳という若さでした。
■「藤枝心中」のその後
事件のあと、藤枝家は改易処分となります。外記の母と妻は押し込め処分(一定期間幽閉される刑罰)を受けています。
事件がセンセーショナルであったことから、「君と寝ようか 五千石取ろか なんの五千石 君と寝よ」という端唄が流行するほどに。また、岡本綺堂はこの事件をもとに『箕輪心中』という小説を書いています。
ちなみに、実際の彼の石高は4000石ですが、語感の良い5000にしたという説があります。また、『箕輪心中』の名前の由来は、心中場所が現在の台東区三ノ輪(当時の箕輪)だったからと言われています。
■江戸の三大心中にも数えられる
江戸時代は心中が多かったとも言われています。そのなかでも、今回ご紹介した「藤枝心中」は江戸の三大心中とも。
ちなみに、曾根崎心中と心中天網島は近松門左衛門によって浄瑠璃にされ、「心中ブーム」を巻き起こすまでになります。男女の心中が相次いだため、享保8年(1723年)には江戸幕府が心中ものの浄瑠璃の上演を禁止するまでに至りました。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan