皆さんは具合が悪くなった時、積極的に医師のアドバイスを受ける方ですか?あるいは自己流のノウハウで何とかしたい方ですか?

かの徳川家康(とくがわ いえやす)は大の医者嫌いとして有名で、一服盛られることを心配して、薬の調合まで自分でやっていたと言います。

しかし昔から「餅は餅屋」と言うように、何事につけプロフェッショナルが存在するのは、自己流では限界があるからです。


それでも頑として医者にだけはかかろうとしない家康。病状はどんどん悪化の一途をたどり、このままでは命を落としかねません。

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本多作左衛門重次。国立歴史民俗博物館蔵

何とか家康に治療を受けさせるよう説得を試みる家臣たち……今回はそんな一人、本多重次(ほんだ しげつぐ。作左衛門)のエピソードを紹介したいと思います。果たして彼は、どんな手を使ったのでしょうか。

■鬼作左、捨て身の一手

「……御屋形様、どうしても治療を受けられませぬか?」

時は天正13年(1585年)3月、腫物をこじらせた家康の枕元で、作左衛門は詰め寄ります。

「無論じゃ。医者にかかるくらいなら、死んだ方がましじゃ!」

たいそう苦しみながら家康は答えました。もうずっとこんな押し問答が続いており、さすがは頑固で知られた三河者の総大将よと呆れるばかり。

「左様にございますか……ならば、仕方ありませんな」

え、説得を諦めちゃうの?その苛烈な性格と強面から「鬼作左(おにさくざ)」の二つ名で知られる作左衛門にしてはずいぶんアッサリした反応です。

「然らば御免!」

すっくと立ち上がるや踵を返し、スタスタと出て行ってしまった作左衛門。
襖をピシャリと閉めて去っていきます。

すわっ、乱心か!?家康の命を救った「鬼作左」本多重次のエピソード【どうする家康】


鬼作左に見捨てられ、ちょっと寂しい?家康(イメージ)

「……ふん、別に引き留めて欲しかった訳じゃないわい。あぁ痛てて……」

ちょっと寂しかったのかどうだか、なおも苦しみ続けていると、足音がドカドカと迫ってきました。

「御免!」

やって来たのは作左衛門。今度は白装束に着替え、手には抜き身の脇差を持っています。

「すわっ、乱心か!?」

まさかこれ以上家康が苦しまぬよう、トドメを刺そう(いっそ楽にしてやろう)と言うのでは……血の気が引いた家康の傍らに、作左衛門は腰を下ろしました。

「御屋形様があたら御命を捨てられるとあらば、この作左衛門、冥途のお供せぬ訳には参りませぬ。今ここで腹を切り申すゆえ、今生の暇乞いを申し上げる!」

そう言って着物を脱ぎ捨て、いよいよ腹をむき出しに。

「誰ぞ、介錯を願おう!」

このまま止めなければ、作左衛門は本気で腹を切るでしょう。そのことは、家康の初陣いらい命を惜しまず戦い続けてきた、傷だらけの身体が物語っています。

「分かった!わしが悪かった……医者の療治を受けるゆえ、腹を切るのは待て!」

あぁ良かった、これで歴戦の勇士が無駄死にせずに済んだ……周囲は胸をなで下ろしたと言うことです。

■終わりに

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よかったね、家康(イメージ)

こうしてちゃんと医師の治療を受けて回復した家康は、作左衛門ともども命拾いしたのでした。


あの時、自己流のにわか療治にこだわって命を落としていたら、天下を獲れなかった愚将として終わっていたことでしょう。

そう考えると、家康の天下獲りは作左衛門をはじめとする忠臣たちの、献身的な奉公の賜物と言えますね。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」でこのシーンが再現されるのか、今から楽しみです。

※参考文献:

  • 『歴史読本 52巻3号』新人物往来社、2007年3月

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