戦国時代の甲斐国(現在の山梨県)の武将と言えば武田信玄。戦国時代最強とまで言われた彼の強さを支えていた食べ物のひとつに、「ほうとう」があります。
武田信玄像
ほうとうは山梨名物の郷土料理で、平らに伸ばしたうどんに似た麺を、味噌仕立ての汁で野菜などの具材と一緒に煮込むというものです。かつて、毛利元就が「餅」を自軍の戦場メシとして採用していたのと同様に、信玄はこのほうとうを陣中食としていました。
武田信玄といえば「風林火山」をモットーとした戦を理想としていましたが、そんな彼の戦闘スタイルを支えた食事が、ほうとうだったと言ってもいいでしょう。
もともと、当時の陣中食と言えば「米」が一般的でした。しかし甲斐国は標高が高い山が多く、水田を作るのが難しい地形でした。そのため他国と比べて米の生産力が低いのが難点でした。
山梨県白州の田んぼの風景
そこで、武田信玄は厄介者である山を切り拓き、麦や大豆などの穀物が生産できるように工夫します。
こうして、米ではなく生の麺や味噌が作られるようになり、武田軍の強さのもとになっていったのです。
■米よりも最適!?
このように見ていくと、信玄が「ほうとう」を兵糧として採用したのは、苦肉の策だったとも言えるでしょう。
山梨の「ほうとう」
しかし現代の視点で考えてみると、戦いに明け暮れていた時代に「ほうとう」をエネルギーの源としていたことは、実は理にかなっていました。
当時の兵糧食材として一般的だった米は、実際には扱いにくいところがあります。少しでも料理をしたことがある人なら分かると思いますが、米を食べるには洗う、炊く、蒸すという三つの工程を経る必要があります。
ところが穀粉の場合は、水を加えて練り、あとは加熱するだけでオーケー。さらに米ほど重くないので、運搬も容易であることから、軍の機動力も高くなります。
戦国時代は、栄養補給もスピーディーに行う必要があったことから、こうした点は武田軍にとってとても有利だったはずです。苦肉の策で採用された陣中食は、実は戦国時代に最適なものだったのです。
【後編】では、さらに味噌・山菜・キノコ・ジビエと武田軍の関係についても説明します。
【後編はこちらから】
参考資料
永山久夫「賢食物語第13話 賢人たちの食術 「武田信玄」と「ほうとう」」
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
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