笠郎女は、女性の歌人で、奈良時代の中期に活躍しました。
そんな彼女ですが、とある有名歌人に熱烈な歌を贈り続けたことでも有名。一体、その相手の歌人とは、だれなのでしょうか?
■笠郎女(かさのいらつめ)とは?
笠郎女の生年や没年はわかっていませんが、奈良時代の中期に活躍した女性の歌人です。奈良時代の歌人、笠金村(かさのかなむら)の娘という説もあります。なお、「笠郎女」という名前は「笠家の女性」という一般名詞で、固有名詞ではありません。
笠郎女は同じく『万葉集』の代表的な歌人である大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)と並んで称されます。笠郎女の歌は『万葉集』に合計29首収載されており、これは女性では大伴坂上郎女に次ぐ多さです。この29首すべてが、とある有名な歌人への恋の歌だと言われているのです。
■笠郎女の恋した相手とは?
『万葉集』に入集(にっしゅう:歌集や句集などに作品を選んで入れること)されている笠郎女が詠んだ歌29首は、彼女が恋焦がれた歌人、大伴家持(おおとものやかもち)に対するものでした。彼女の歌は短歌の形式をとっており、その三十一文字には、熱い想いが込められています。
ちなみに、大伴家持は多くの女性から好かれていたようです。彼と相聞の歌を交わした女性は何人もいるようですが、歌のスキルという観点でいえば、笠郎女がもっとも優れているとされています。
■笠郎女は大伴家持にどんな歌を詠んだのか?
笠郎女は大伴家持に一体どのような歌を贈ったのでしょうか。29首すべてを紹介することはできませんが、いくつかピックアップしてご紹介します。
託馬野に 生ふる 紫草 衣に染め いまだ着ずして 色に出にけり(395)
(託馬野に生えているという紫草で衣を染めるように、まだ着ていないのに早くも人目についてしまいました(私の恋は))
こちらは笠郎女は大伴家持に贈った3首の恋歌のうちの1つです。「家持という紫草で笠女郎の心が染まった」、「まだ恋が成就していないのに人に知られてしまった」という意味だとされています。隠すことのできない彼女の想いが伝わってくるような気がしますね。
我が形見見つつ偲はせ あらたまの年の緒長く我も思はむ
(私の形見を見ながら私のことを思い出してください。長い年月を経ても私もあなたを思っていますから)
こちらは笠郎女が大伴家持に贈った24首の相聞歌のうちの1つです。ここでの形見は「生きている人を思い出すためのもの」という意味です。大伴家持が彼女のことを思い出せるように何か物と一緒に贈ったのではないかと想像できます。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan