日本三大仇討ちの一つ「曽我兄弟の仇討ち」父の復讐に生きた兄弟の結末は…【鎌倉殿の13人】
そこで父の仇をとった兄弟のうちの兄・曽我十郎祐成(すけなり)には、愛する人がいました。
一体、どのような女性だったのでしょうか?
■虎御前の生い立ち

「美人東海道 大礒之図」歌川国貞 画
虎御前は、実在していたかどうかがはっきりとわかっていない人物です。伝説上の女性と考えられることもあります。『吾妻鏡』にも彼女が登場することから、実在の人物だとする説もあります。
そのため、虎御前の出自には諸説あります。平塚の宿(宿場には遊女がいました)の遊女、夜叉王(やしゃおう)と、彼女のもとに通っていた宮内判官・家永とのあいだに生まれたというのが『曾我物語』による説です。1175年生まれとされています。
5歳のころ、大磯(こちらも宿場で、遊女がいました)の遊女に引き取られ、育てられます。そして虎御前自身も遊女となります。
■曽我十郎祐成(すけなり)と恋仲に
曽我十郎祐成(すけなり)は、虎御前と出会って一気に恋仲になったようです。彼が父の仇討ちに行く前の日の夜には、再び会うことがないだろうと知った二人の様子が『曾我物語』に描かれています。
曽我十郎祐成と彼の弟は仇討ちを遂げますが、命を落とします。

曾我兄弟の仇討ち
■大磯には、虎御前ゆかりの地がいくつも
大磯には、今でも虎御前のゆかりの地がいくつも残っています。たとえば、虎御前は大磯・延台寺のはじまりとなる庵を結び、兄弟の菩提を弔ったと伝わっています。
延台寺の法虎庵曽我堂には、曽我兄弟座像、虎御前剃髪之像なども安置されています。
ほかにも、大磯駅構内には、歌川広重の「東海道五十三次」のひとつ「大磯虎ヶ雨」があります。これは、虎御前の涙雨に由来しています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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