松平家臣団のおよそ半分までもが寝返り、松平家康(演:松本潤)を窮地に追い込んだ三河一向一揆(永禄6・1563年~永禄7・1564年)が何とか終息し、寝返った家臣たちが徐々に降伏して来ました。

基本的にはみんな許して再び迎え入れた(そうでなければ領国の維持経営がままならなかった)家康ですが、中には素直に許せない者も少なくなかったようです。


今回はそんな一人、小栗忠政(おぐり ただまさ。又一)のエピソードを紹介。頑固で偏屈な三河武士を前に、家康はどうするのでしょうか。

■改宗せよ!脇差を突きつけて脅す家康

【三河一向一揆】帰参した小栗又一忠政に、改宗を迫る家康。果た...の画像はこちら >>


又一と再会した家康(イメージ)

「……よう戻ったな。どの面下げて……」

平伏する又一の胸倉をつかみ、家康は凄みました。

「己が過ちを悔いて、ただちに改宗せぇ。さもなくばこの場で刺し殺すぞ!」

もう片手で脇差を抜いて又一の鼻先に突きつけましたが、又一は眉一つ動かしません。

「どうぞ。如何様なりとも」

一度自分の意思で信仰すると決めた以上、脅された命惜しさに改宗するなど武士の名折れ。そんな毅然たる又一の態度に、家康が折れます。

「ふん。そなたの如き偏屈者、殺す価値もないわい」

掴んでいた胸倉を突き放し、その場を去ろうとした家康に、又一が言いました。


「……それがし、これより法華(日蓮宗)に改宗いたしまする」



え?たとえ殺されようと改宗を拒否した者が、解放された直後に改宗するとはどういうことでしょうか。尋ねる家康に、又一の答えて曰く

「武士たる者、御手討を恐れて改宗する訳には参りませぬ。しかし殿が我が命をお助け下さるお慈悲の畏れ多きゆえ、心から改宗いたす次第にございます」

との由。いかに脅されようと絶対に屈しないが、情けをかけられたら、何としてもそれに報いる。それが三河武士という生き物でした。

「……左様か」

かくして小栗又一は帰参を許され、その後も忠義の武勲を重ねたということです。

■終わりに

【三河一向一揆】帰参した小栗又一忠政に、改宗を迫る家康。果たして返事は?【どうする家康】


鎗の又一(イメージ)

……一乱おさまりて帰降の者とりどり見え奉りける内に。小栗又一忠政御前に出ければ。   君忠政が胸元を捕へ給ひ。汝此後宗門を改むべきや。さなからんには只今一刀にさし殺さんとて御指添をぬかせ給へば。忠政いさゝか驚慮の様なく。
御手討にならんとても改宗はなり難しと申せば。汝が様なる者は殺さんも無益なりとて突放し給ふ。忠政かさねて。只今こそ法華に改め候はんといふ。   君聞しめし。手■に逢ても改宗はならぬといふ詞の下より。又法華にならんとは何事ぞと咎め給へば。忠政士たる者が御手討になるがおそろしとて改宗すべき哉。たゞ一命を御助あるといふ上命のかしこさを謝し奉らん為に。法華にならんとは申けるといへば。   君もおぼえず御唉ありけるとなり。

※『東照宮御実紀附録』巻二「小栗忠政」

以上、三河一向一揆から帰参した小栗又一忠政の改宗エピソードを紹介してきました。
何だか「北風と太陽」みたいですね。

なお通称の又一は元々「又市」でしたが、一番槍の武功が多かったため「又も一番槍」で又一と改名。家康のお慈悲にみごと応えたのでした。

NHK大河ドラマ「どうする家康」では割愛されるでしょうが、こうした三河武士たちをまとめ上げた家康は、着実に天下人への歩みを進めることになります。

画面の片隅で暴れ回る無数の三河武士たちの活躍も、どうかご注目下さいね!

※参考文献:

  • 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション

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