基本的にはみんな許して再び迎え入れた(そうでなければ領国の維持経営がままならなかった)家康ですが、中には素直に許せない者も少なくなかったようです。
今回はそんな一人、小栗忠政(おぐり ただまさ。又一)のエピソードを紹介。頑固で偏屈な三河武士を前に、家康はどうするのでしょうか。
■改宗せよ!脇差を突きつけて脅す家康
又一と再会した家康(イメージ)
「……よう戻ったな。どの面下げて……」
平伏する又一の胸倉をつかみ、家康は凄みました。
「己が過ちを悔いて、ただちに改宗せぇ。さもなくばこの場で刺し殺すぞ!」
もう片手で脇差を抜いて又一の鼻先に突きつけましたが、又一は眉一つ動かしません。
「どうぞ。如何様なりとも」
一度自分の意思で信仰すると決めた以上、脅された命惜しさに改宗するなど武士の名折れ。そんな毅然たる又一の態度に、家康が折れます。
「ふん。そなたの如き偏屈者、殺す価値もないわい」
掴んでいた胸倉を突き放し、その場を去ろうとした家康に、又一が言いました。
「……それがし、これより法華(日蓮宗)に改宗いたしまする」
え?たとえ殺されようと改宗を拒否した者が、解放された直後に改宗するとはどういうことでしょうか。尋ねる家康に、又一の答えて曰く
「武士たる者、御手討を恐れて改宗する訳には参りませぬ。しかし殿が我が命をお助け下さるお慈悲の畏れ多きゆえ、心から改宗いたす次第にございます」
との由。いかに脅されようと絶対に屈しないが、情けをかけられたら、何としてもそれに報いる。それが三河武士という生き物でした。
「……左様か」
かくして小栗又一は帰参を許され、その後も忠義の武勲を重ねたということです。
■終わりに

鎗の又一(イメージ)
……一乱おさまりて帰降の者とりどり見え奉りける内に。小栗又一忠政御前に出ければ。 君忠政が胸元を捕へ給ひ。汝此後宗門を改むべきや。さなからんには只今一刀にさし殺さんとて御指添をぬかせ給へば。忠政いさゝか驚慮の様なく。以上、三河一向一揆から帰参した小栗又一忠政の改宗エピソードを紹介してきました。御手討にならんとても改宗はなり難しと申せば。汝が様なる者は殺さんも無益なりとて突放し給ふ。忠政かさねて。只今こそ法華に改め候はんといふ。 君聞しめし。手■に逢ても改宗はならぬといふ詞の下より。又法華にならんとは何事ぞと咎め給へば。忠政士たる者が御手討になるがおそろしとて改宗すべき哉。たゞ一命を御助あるといふ上命のかしこさを謝し奉らん為に。法華にならんとは申けるといへば。 君もおぼえず御唉ありけるとなり。
※『東照宮御実紀附録』巻二「小栗忠政」
なお通称の又一は元々「又市」でしたが、一番槍の武功が多かったため「又も一番槍」で又一と改名。家康のお慈悲にみごと応えたのでした。
NHK大河ドラマ「どうする家康」では割愛されるでしょうが、こうした三河武士たちをまとめ上げた家康は、着実に天下人への歩みを進めることになります。
画面の片隅で暴れ回る無数の三河武士たちの活躍も、どうかご注目下さいね!
※参考文献:
- 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan