そこで今回の記事では、現代の感覚からすると驚くような内容が書かれた『女大学』について、その中身を探ってみたいと思います。
※ちなみに、春画の名手・月岡雪鼎によるエッチ本「女大楽宝開」という「女大学」のパロディ版が江戸時代に刊行されています。
教育本の完全パロディ、江戸時代のエロ本「女大楽宝開」の内容が具体的すぎて…【前編】
■『女大学』とは?
『女大学』は、江戸時代中期から一般に普及した女子の教科書のようなものです。貝原益軒(かいばらえきけん)もしくは彼の妻・東軒(とうけん)が書いたと言われていますが、確証はありません。
現在では、貝原益軒が書いた『和俗童子訓』巻5の「女子ニ教ユル法」を、享保の教化政策に便乗した当時の本屋が簡略化して出版したものと考えられています。
■『女大学』の内容は?
『女大学』には、女子の心得としての19条が書かれています。女子教育の理念(1~3条)に始まり、婦人としての在り方や結婚後の実際の生活の心構え(4~19条)が書かれています。
たとえば、「女子は成長して、嫁に入り、夫と親に仕えるから幼少のころから過保護にしてはならない」というもの。嫁に入り夫と親に仕える、というのは現代からするとやや気になる部分ではありますが、「過保護にしてはならない」というのは一理あるかもしれません。
また、「容姿よりも心根の善良なことが肝要で、従順で貞節そして情け深くしとやかなのがよい」というものもあります。
■明治に入り、福沢諭吉らから批判を受ける
『女大学』は江戸時代には幼少のころから女子に教え込むことが大事とされてきました。しかし、明治に入り、福沢諭吉などから批判を受けています。福沢諭吉は、近代社会での女性のあり方を説いた『新女大学』(1898年)を書いています。
また、渋沢栄一も『女大学』について「精神的な教育は施されていたが、知恵や学問、理論といった知識を薦めたり、教えようとしなかった」と指摘しています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです!
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