みなさま、こんにちは。歴史を知るうえで必ずぶちあたる「氏と姓」の基礎知識についてはJapaaanでも複数回取り上げられてきましたね。


では、歴史上の人物に「の」が入る場合と入らない場合があることにお気づきでしょうか。

「源頼朝」は(みなもとのよりとも)ですが、北条義時や木曾義仲は(ほうじょう・よしとき)、(きそ・よしなか)ですね。

単に「の」があった方が読みやすい名前だからでは?と思っていた方も多いのではないでしょうか。実は明確な違いがあったのです。



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源頼朝(みなもと”の”よりとも)…歴史上の人物の読み方に「の...の画像はこちら >>




■天皇に仕えた豪族や貴族に「の」がついた

実は古代の大王(のちの天皇)につかえた豪族や貴族に与えられた氏(うじ)にのみ、「の」がついたのです。要するに天皇(朝廷)から与えられた氏に「の」がついたということですね。

氏と姓の間に「の」が入る名前は、大和政権から始まったとされています。

もう一度「氏(うじ)」「姓(かばね)」をさらっとおさらいすると、氏は「大王や朝廷に仕える血筋」を表し、姓(かばね)は「朝廷の地位」を表します。

有名な蘇我氏を例にとると、蘇我大臣馬子の場合、「そがのおおおみうまこ」と読み、氏が「蘇我」、姓が「大臣」、名が「馬子」です。

増えすぎた氏の極端な例としては源氏と藤原氏でしょう。この勢力のように次第に同じ氏の貴族が増え、次第に氏は土地や地名と結びついていきました。それは俗に「名字」と呼ばれていくこととなります。


そういった土地と結びついた名字には、「の」は入りません。

先にあげた例の北条義時(ほうじょう・よしとき)、木曾義仲(きそ・よしなか)などがあります。



■「の」が消滅したのはいつから?

「の」が消滅したのは明治4年から。

明治政府も当初は、慣例通り「うじ・かばね」を公文書に使用することを求めていました。一例をあげると、維新の立役者の桂小五郎も「大江朝臣孝允木戸」(おおえの・あそん・たかよし・きど)でした。※木戸が名字で一番下につきました。

しかし元々貴族や武家階級ではない出自のものも登用されたため、「うじ・かばね」を持たない者と持つ者の間で混乱をきたします。

そして明治4年10月12日、姓尸不称令(せいしふしょうれい、明治4年太政官布告第534号)が出され、一切の公文書に「姓尸」(姓とカバネ)を表記せず、「苗字實名」のみを使用することが定めらました。

源頼朝(みなもと”の”よりとも)…歴史上の人物の読み方に「の」が入る場合と入らない場合の違いは?


明治3年までの公文書。しかし見事に源氏と藤原氏が多いですね。

「官員録 : 官板 明治3年」(須原屋茂兵衞 著、1870年)

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