NHKの朝ドラ『らんまん』の主役のモデルとなっている牧野富太郎。彼は日本植物分類学の基礎を築き上げた伝説的人物です。
NHK朝ドラ「らんまん」のモデル・牧野富太郎ってどんな人?その生涯と学問的業績を解説
自ら日本中の野山を探索し、その生涯で収集した標本の数は約40万枚に及ぶとされています。

牧野富太郎(Wikipediaより)
また、新種や新しい品種など1,500以上について命名するという業績を残しています。
しかしそんな彼ですが、大学でのいざこざも体験しています。
彼は22歳のとき、東京大学理学部の植物学教室に押しかけたのをきっかけに、東京大学に出入りするようになって各地で植物採取と研究を続けます。そして26歳の時には『日本植物志図篇』を刊行し、自筆の植物図の細密さなどが各方面から称賛されました。
彼が東大で研究するようになった大きなきっかけとなった人物が、初代植物学教授の矢田部良吉です。矢田部は詩人で植物学者、そして理学博士でもありました。

矢田部良吉(Wikipediaより)
東大に押しかけた際、牧野は熱く植物愛を語るという方法で自分をアピールし、そこから東大への出入りが許されるようになったといいます。
しかし、そんな牧野と矢田部の間にいざこざが起こりました。突然、矢田部教授から東大への出入りを禁止されてしまったのです。
■なぜか出禁となる
この「出禁」の理由は、表向きは大学でも植物図鑑を発行することになったから、関係者以外は書籍を閲覧してはいけない……というものでしたが、実際には牧野が教授に敬意を表さなかったことや、大学の蔵書を長期間借りたまま返却しなかったことなどが原因だったのではないか、とも推測されています。

これにより数年間、牧野は不遇をかこつことになります。
今も牧野が出禁になった本当の理由は不明ですが、在野出身の研究者だったにも関わらず世界的にも貴重な食虫植物を発見するなど、めざましい活躍をしていた牧野に対する妬みが原因だったのではないかと推測する人も多くいます。
普通なら落ち込むところですが、牧野の植物学への情熱は消えることなく、その後も独自に研究を続けました。そして矢田部が退任すると、牧野は帝国大学理科大学に助手として採用されています。
■矢田部良吉のキャラクターは?
牧野の人生をドラマ化した『らんまん』で、この矢田部良吉(がモデルになってる人)のキャラクターがどのように演じられるかが、個人的には気になるところです。
その人物像は、牧野のよき理解者である一方、師匠としてのプライドも捨て切れず嫉妬してしまう人間臭い人物として描かれるのか。あるいは東大の方針には逆らえずに、涙ながらに弟子を出禁にしてしまう哀れな人物として描くのか……。これも興味深いですね。
ちなみに矢田部は1899年に47歳で遊泳中に事故で水死しています。短い生涯の中で、なぜか「破門草事件」という、植物の学名を巡るいざこざでやはり在野の植物学者を破門にするトラブルを起こしています。
参考資料
植物一筋!植物学の父・牧野富太郎の直球人生を振り返る|@DIME アットダイム
高知新聞
MORGEN
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan