人間、気が立っていると思わぬ暴挙に出てしまうことも少なくありません。

特に腹が減っている時などは顕著で、食い物の怨みの恐ろしさを実感します。
たとえ逆怨みであろうと例外ではないようです。

比較的温厚な現代人でもそうなのですから、戦国時代の武士たち、しかも極限状況におかれる戦場では何があっても不思議ではないでしょう。

そこで今回は江戸時代の随筆集『黒甜瑣語(こくてんさご)』より、とある落武者と馬夫のエピソードを紹介します。

■大坂城から逃げて来た二人

時は慶長20年(1615年)のはじめ、徳川家康(演:松本潤)と豊臣秀頼(とよとみ ひでより)の最終決戦、いわゆる「大坂夏の陣」を控えたころ(4~5月)のこと。

大坂城に立て籠もる豊臣方にもはや勝ち目はない、と味方していた者たちが次々と大坂を脱出。落ち武者狩りから逃れるため戦々恐々としていました。

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ところ変わって、ここは京都九条。ある明け方、宿屋の主人が戸の外で何か声がするのを聞きつけます。

こんな時間に何者だろうか(どうせロクな者じゃなかろうが)……戸の陰から聞き耳を立てると、その口ぶりから一人は武士、もう一人は彼の雇った馬夫のようです。

「……おい、そなたはもう飯を食ったのか」

「へぇ。でもご主人があまりに急かすものだから、食後に湯を飲む暇もありませんでしたよ」

恐らく昨晩どこかに泊めて貰ったはいいものの、そこの宿主が二人を落ち武者として徳川あるいは関係当局へ通報したことに気づいた……そんなところでしょうか。

武士は呑気に飯を食っていた馬夫を急かし、一目散に逃げ出して、ここまでやって来たものと思われます。


緊張が緩んだら腹が減っていることを思い出し、武士はそんな質問をしたようです。

「……左様か」

次の瞬間「ざつぷり」という音と、人が「ウン」と呻いて倒れる音がしました。よもや斬ったか、何ゆえに?と思いながら、主人が戸の隙間からのぞいてみると。



……かの武者、馬夫を胴切りにして腹中をかきさがし、いま食ひしと云ふ飯をすくひ取り、血をしたてて屠り居たり。……

※人見蕉雨『黒甜瑣語』

例の武士が馬夫の胴体を真っ二つに斬り捨て、腹の中へグチャグチャと手を突っ込んでいるではありませんか。

内臓から立ち上る湯気。武士は馬夫の胃袋から先ほど食ったという飯を手ですくい出し、血がしたたるのも構わず食い始めました。

既に噛み砕かれて、胃液や血も混ざってお世辞にも美味くなさそうですが、そこまで腹が減っていたのでしょうか。正気の沙汰ではありません。

まったく馬夫にしてみればいい迷惑です。こんな事なら、武士を先に行かせて食後の湯でも飲んでいた方が、まだ生き延びられたかも知れませんね。

■終わりに

食い物の怨みは恐ろしい…『黒甜瑣語』が伝える落武者と馬夫のエピソード【どうする家康 外伝】


その後、落ち武者はどうなったのだろうか(イメージ)

などという出来事が京都であったそうな……と、細井熙斎(ほそい きさい。
出羽久保田藩の藩校・明徳館教授)が語っていました。

久保田藩士の人見蕉雨(ひとみ しょうう)はそれを『黒甜瑣語』に記したのですが、真偽のほどはともかく、極限状況下における人間は何をしでかすか分からない一例と言えるでしょう。

今も昔も、腹が減った時ほど正常な思考ができないことはありません。何はなくともまずは腹にモノを入れて、いつも冷静でありたいものです。

※参考文献:

  • 氏家幹人『武士マニュアル』メディアファクトリー新書、2012年4月

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