恐れていたことが、予想どおりに起きてしまいました。

金ヶ崎の退口と言ったら、徳川家康(演:松本潤)の武勇と律儀ぶりを天下に知らしめた大舞台。
それを「何やかんや」で片づけるって……どういうことですか?

姉川の合戦も、やっぱり予想どおり。開戦前はモジモジしていた家康が、いざ決断すると先陣を切って大活躍。あっさり勝利してしまう「神展開」に。

戦闘シーンはほぼオマケ、織田信長(演:岡田准一)に従うか、浅井長政(演:大貫勇輔)に寝返るか……結局は信長に逆らえず、耳をかじられて終了。

一方、ガラ空きの遠江を見て武田信玄(演:阿部寛)が領土拡大の野心を燃やして調略を開始。反徳川感情を煽り立てた結果、浜松へ乗り込んで来た家康に一人の刺客が襲いかかりました。

女装していた美少年の名は井伊虎松(演:板垣李光人、井伊直政)。後に徳川四天王の一人として大活躍する彼も、今はただ家康に憎悪を燃やすばかりです。

NHK大河ドラマ「どうする家康」、第15回放送は「姉川でどうする!」でした。

文字通り姉川の合戦(元亀元・1570年6月28日)について描かれていたものの、家康がどっちにつくかの決断が勝敗を左右しかねなかったという展開は、果たして史実どおりなのでしょうか。

今回も江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀)』を中心に、大河ドラマを振り返りたいと思います。

■実際どうだった?姉川の合戦

「どうする家康」何やかんやで金ヶ崎。家康を狙う女装美少年の刃...の画像はこちら >>


「姉川合戦図屏風」より、大太刀を奮う真柄十郎左衛門。
観たかったなぁ……(ぼそ)

……かくて信長は浅井父子が朝倉に一味せしを憤る事深かりしかば。さらば先浅井を攻亡ぼして後朝倉を誅すべしとて。また御加勢をこわれしかば。この度も又御みづから三千余兵をしたがへて御出陣あり。五月廿一日近江の横山の城へはをさえを残し小谷の城下を放火す。浅井方にも越前の加勢をこへば。朝倉孫三郎景紀を将として一万五千余騎着陣し。六月廿八日姉川にて戦あり。はじめ信長は朝倉にむかへば   君には浅井とたゝかひ給へとありしが。暁にいたり信長越前勢の大軍なるをみて俄に軍令を改め。我は浅井をうつべし。徳川殿には越前勢へむかひたまへと申進(知)らせらる。
御家人等是をきゝ。只今にいたり御陣替然るべからずといなむ者多かりしかど。君はたゞ織田殿の命のまゝに。大軍のかたにむかわんこそ。勇士の本意なれと御返答ましまし。俄に陣列をあらため越前勢にむかひたまふ。かくて越前の一万五千余騎   君の御勢にうつてかゝれば。浅井が手のもの八千余騎織田の手にぞむかひける。御味方の先鋒酒井忠次をはじめえい聲あげてかゝりければ。朝倉勢も力をつくしけれどもつゐにかなはず。北国に名をしられたる真柄十郎左衛門など究竟の勇士等あまたうたれたり。浅井方は磯野丹波守秀昌先手として織田先陣十一段まで切崩す。
長政も馬廻をはげましてかゝりければ。信長の手のものもいよゝゝさはぎ乱て旗本もいろめきだちぬ。   君はるかにこの機を御覧ありて。織田殿の旗色みだれて見ゆるなり。旗本より備を崩してかゝれと下知したまへば。本多平八郎忠勝をはじめ。ものもいはず馬上に鎗を引提て浅井が大軍の中へおめいてかゝる。ほこりたる浅井勢も   徳川勢に横をうたれふせぎ兼てしどろになる。織田方是にいろを直してかへしあわせければ。浅井勢もともに敗走してけるも。またく   徳川殿の武威によるところなりとて。今日大功不可勝言也。
先代無比倫。後世雖争雄。可謂当家綱紀。武門棟梁也との感書にそへて。長光の刀その外さまゞゝの重器を進らせらる。(これを姉川の戦とて御一代大戦の一なり。)……

※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年-元亀元年「姉川戦(大戦之一)」

時は元亀元年(1570年)6月28日、織田・徳川と朝倉・浅井は姉川をはさんで対峙しました。

家康は援軍3,000を率いて浅井と戦う段取りをしていましたが、信長より急遽「やっぱり朝倉に当たってくれ」と陣替(じんがえ)を要請してきます。

どうやら信長は当初「朝倉の方がチョロそうだから、自分がこっちを担当して、家康は浅井とやってもらうか」と思っていたのですが、いざ来てみると朝倉勢はざっと15,000。

それで慌てて「やっぱりチェンジして」と言ってきたのです。これを聞いて徳川家臣団は冗談じゃないと怒り出しました。

しかしそこは「我らが神の君」、家臣たちを「大軍を相手に戦ってこそ、武士の誉れではないか」となだめて、陣替に応じたのです。


さぁ合戦が始まりました。徳川勢は5倍の敵も恐れず突き進み、織田勢も8,000の浅井勢と槍を交えます(織田の兵数は不明ながら、朝倉>織田>浅井と考えれば約10,000と推定)。

酒井忠次(演:大森南朋)や本多忠勝(演:山田祐貴)らの奮戦によって朝倉勢を蹴散らし、北陸の豪傑・真柄直隆(まがら なおたか。十郎左衛門)を討ち取るなど大戦果を上げました。

※この勝利は、榊原康政(演:杉野遥亮)が別動隊を率いて朝倉勢の背後を衝いたことが奏功したと言います。

やれやれ、ここらで一休み……と織田勢を見れば、何と浅井勢に押されまくっているではありませんか。

近江の猛将・磯野丹波(いその たんば。秀昌、員昌)によって陣構を十一段まで突き崩され、さすがの信長も大慌てです。

これを見た「我らが神の君」は、盟友の窮地を救わずして武士の面目あるものかと浅井勢へ攻めかかりました。

織田勢を攻めるのに夢中だった浅井勢は急な加勢にしどろもどろ。「まさか徳川が、こんなに早く(というか、そもそも)朝倉を蹴散らすなんて」と泡をくって退却していきます。

「いやぁ助かった。
さすがは俺の白兎。感謝するぜ」

戦い終わって日が暮れて、信長は家康に感状(感謝状)を贈りました。

今日大功不可勝言也。先代無比倫。後世雖争雄。可謂当家綱紀。武門棟梁也

【意訳】今日のMVPは言うまでもなくお前だ。空前絶後の大手柄は、まさに武門の棟梁である(あれ、信長自身はそれより上の何?)。

もうベタ褒めのオンパレード。よほど家康が大好きで、かつ頼りにしていたのでしょうね。信長は上機嫌で長光(ながみつ)の刀をはじめ様々な宝物を恩賞として与えたのでした。



■もし、あの場で信長を討っていたらどうなる?

「どうする家康」何やかんやで金ヶ崎。家康を狙う女装美少年の刃…第15回放送「姉川でどうする!」振り返り


姉川で信長を裏切った場合、想定される家康の末路。

以上が「姉川の合戦」における経緯(諸説あり)ですが、家康が浅井に寝返ろうとしていた様子は見受けられません(完全にフィクションと見ていいでしょう)。

そもそも好きか嫌いか、今この瞬間に討てるかどうかだけで寝返りを考えるなど、愚の骨頂もいいところです。

左衛門尉(酒井忠次)や石川数正(演:松重豊)のうんざり顔がうまい演技なのか、それとも(俺たちは何につき合っているんだ)と心から思っていたのか、実に絶妙でしたね。きっと画面の前の視聴者も、同じ顔をしていたことでしょう。

信長怖い&嫌い、浅井好き&義がありそう、だからムカつく信長殺す。後の事はどうにでもなれ、じゃ困るのです。

そもそも信長を殺して浅井に寝返ったとして、そこから無事に(大好きな瀬名ちゃんが待っている)三河へ帰れるのでしょうか。

姉川(近江)から三河へ帰るには、がっつり織田領の美濃・尾張を通過しなければなりません。信長がいなくなったらすべて崩壊してくれる訳ではないのです。

道中で織田の軍勢と何度も戦いながら、命からがら三河にたどり着いたら、今度は武田が舌なめずりして待っています。

東に武田、西の織田まで敵に回したら……今度は織田と武田が仲良く三河と遠江を半分こする可能性が高そうです。つまりかつて今川氏真(演:溝端淳平)を挟み撃ちした構図そのもの。

どのみち武田は遠江・三河を攻めとる気満々なのですから、ここでいっときの感情に任せて織田まで敵に回したら、待っているのは破滅あるのみ。

もう家康も28歳(当時)なのですから、そのくらいの外交関係は頭に入れておいて欲しいものです。

よって今回の「信長を討つかどうか」という悩みは話しにならないと言えます。もし実際の家康がこんなバカ殿なら、石川数正が今すぐ出奔してもおかしくありません。何なら今すぐ殺して、首を織田に持っていくでしょう。

第1回放送から「どうする、どうする」ばかりでほとんど成長が見られない家康。毎週記憶や経験がリセットされているようですが、大丈夫ですか?これからまだまだ強敵は控えていますよ。

ところでナレーションが「総勢3万を擁した姉川の戦い」と言っていたのは、織田&徳川の動員兵数なのか、それとも朝倉&浅井をも含めた数なのかよく分かりませんでした。

史料や文献によって両軍の勢力には諸説あるものの、こうした兵数や情勢などのリアリティが欠如していると、毎回「何やかんやあったけど、家康が本気になったから勝てました!」で終わってしまいます(今後もそうならないといいのですが……)。

せっかく戦国時代を取り上げているのですから、各将の思惑とか戦術にもフォーカスして欲しいところですね。



■その後どうなった?見附城

「どうする家康」何やかんやで金ヶ崎。家康を狙う女装美少年の刃…第15回放送「姉川でどうする!」振り返り


曳馬(引間)城改め、浜松城。天下の出世城として知られる。

「……見附?遠江を抑えるなら、曳馬じゃ」

劇中で信長に言われて曳馬城へ移った家康。それまで大改修していた見附城(城之崎城。静岡県磐田市)は、その後どうなったのでしょうか。

結論から言うと、見附城は完成を待たずして放棄されたのでした。理由としては(1)天竜川を背にするのは、対武田戦に不利となる。(2)現地町衆の自治≒抵抗が強く、統治しにくかった、など諸説あります。

(1)の地形については手を入れる前から分かっていたでしょうが、(2)の現地勢力については調整してみないと分からない面が大きいため、こちらの方が理由としては大きそうです。

そこで取り急ぎ浜松城(曳馬城を改称&拡張)へ移った家康。しかし劇中と異なり、移転時期は姉川の合戦(6月28日)より前でした。

……永禄十三年に号またあらたまりて元亀と称す。浜松の城規模広麗近国にすぐれければこの正月より移り給ひ。岡崎城をば信康君にゆづりすませ給ふ……

※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年-元亀元年「元亀元年家康移于浜松城」

【意訳】永禄13年(1570年)に改元され、元亀元年となった。浜松の城は広くて立派なため、1月からこっちへ移り、岡崎城を嫡男の徳川信康(演:寺嶋眞秀)に譲り住ませた。

ストーリー上はどっちが先でも支障がないので「姉川の陣中で信長に命じられ、しぶしぶ移った≒大好きな瀬名ちゃんと離れ離れに」という展開を描きたかったのでしょう。

これが後に起きる築山殿事件(五徳姫の密告によって岡崎の瀬名&信康を処刑するよう、信長に命じられる)の伏線と見られます。



■一度裏切ったら許さない?夫につく決意を固めたお市

「どうする家康」何やかんやで金ヶ崎。家康を狙う女装美少年の刃…第15回放送「姉川でどうする!」振り返り


お市の方。一度裏切った兄弟の織田信勝や、今も信長に仕えている柴田勝家は例外なのだろうか。

お市「兄(信長)は一度裏切った者を、決して許しません」

姉川の惨敗から、いつものように平然と(ちょっと表情が浮かない程度で、戦ってボロボロになった様子はなし)帰宅した浅井長政に、覚悟を促したお市(演:北川景子)。

え?信長って、過去に裏切った者たちを結構許しているのですが……。

例えば信長の「うつけ時代」に反旗をひるがえした弟の織田信勝(のぶかつ。信行)や、彼に従った柴田勝家(演:吉原光夫)や林秀貞(はやし ひでさだ。通勝)などは許されています。

※信勝はその後も裏切ったので、さすがに粛清されていますが……。

他にも松永久秀(まつなが ひさひで)や荒木村重(あらき むらしげ)についても許そうとしました。

正直ちょっとお人好し過ぎるんじゃないかと心配になるくらい、信じては裏切られを繰り返しています(その最たるものが本能寺の変ですね)。

多分ですが、姉川の敗戦後でも、謝れば長政だって許されたことでしょう。

松永や荒木はともかく、信長が裏切った勝家らを許していることを、織田家中にいたお市は知っているはずです。

金ヶ崎・姉川の裏切りで長政が引くに引けなくなり、お市も覚悟を決めた……そんな「戦国女子(おなご)の覚悟」を描きたかったのかも知れませんが、こういう背景をもう少し詰めて欲しいところ。

ところで先週、夫を裏切って信長&家康に軍事機密の漏洩を図ったのって、確かお市様でしたよね?阿月(演:伊東蒼)が何のために激走し、命を落としたのか、覚えてますか?(特に彼女が命じた訳ではありませんが)

キャラクターの一貫性って、連続ドラマを楽しむ上で結構重要だと思うのですが、もしかしたら筆者の頭が固すぎるのかも知れませんね。



■どうだった?井伊虎松(井伊直政)と家康の出逢い

「どうする家康」何やかんやで金ヶ崎。家康を狙う女装美少年の刃…第15回放送「姉川でどうする!」振り返り


女装して家康に近づき、斬りかかった虎松(イメージ)

……三年二月頃御鷹がりの道にてて。姿貌いやしからず只者ならざる面ざしの小童を御覧ぜらる。これは遠州井伊谷の城主肥後守直親とて今川が旗本なりしが。氏真奸臣の讒を信じ直親非命に死しければ。この兒三州に漂白し松下源太郎といふものゝ子となりてあるよし聞召。直にめしてあつくはごくませられける。後次第に寵任ありしが井伊兵部少輔直政とて。国初佐命の功臣第一とよばれしはこの人なりき……

※『東照宮御實紀』天正三年「天正三年井伊直政始仕家康」

大河ドラマでは襲いかかってきた井伊虎松ですが、文献では少し違うようです。

そもそも出会ったのは天正3年(1575年)2月頃ですから、大河ドラマでは5年ほど早い設定となっています。

ちなみに虎松は永禄4年(1561年)生まれなので、劇中ではまだ10歳(満9歳)。小学校4年生ですね。

父親の井伊直親(いい なおちか)は今川氏真によって粛清され、松下源太郎(まつした げんたろう)の養子として大切に保護されていたのでした。

卑しからず、ただ者ならざる容姿が気に入られ、家康の直臣に取り立てられたということです。

劇中では初対面の印象最悪ですが、だからこそ打ち解けた後のギャップに期待しましょう。

■第16回放送「信玄を怒らせるな」



「どうする家康」何やかんやで金ヶ崎。家康を狙う女装美少年の刃…第15回放送「姉川でどうする!」振り返り


豊原国周「兄川大合戦」より、柄原十郎左衛門(真柄直隆)と八木坂帆九郎(向坂式部)の一騎討に、本多貞八郎(本多平八郎忠勝)が加勢する場面。

さて、浅井とのゴタゴタは何やかんやで片づけた(というより信長への義理は果たした)家康。今度は新たに切り取った遠江の経営に乗り出します。

武田信玄の調略もあって反抗心むき出しの領民たちをいかに手懐けるか、そして遠からず迫っている武田との対決。

これからも何やかんやあることでしょうが、果たして「我らが神の君」がどのように乗り越えるのか。

来週も、目が離せませんね!

※参考文献:

  • 『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 前編』NHK出版、2023年1月
  • 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
  • 『遠江国風土記伝』国立国会図書館デジタルコレクション
  • 小和田哲男『詳細図説家康記』新人物往来社、2010年3月
  • 谷口克広『信長軍の司令官』中公新書、2005年1月
  • 二木謙一『徳川家康』ちくま新書、1998年1月

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