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朝ドラ「らんまん」で山脇辰哉が演じる堀井丈之助のモデル?小説家・坪内逍遥の生涯①
教育熱心な両親の取り組みもあって、逍遥は学識豊かな青年へと成長していきます。
明治5(1872)年、逍遥は名古屋の洋学校(のちに愛知外国語学校に改組)に入学。
在学中に逍遥はシェイクスピアの『ハムレット』と出会い、外国語文学への興味を持ち始めます。
文芸への興味が尽きない中、逍遥は学業に邁進していきました。
明治9(1876)年8月、逍遥は愛知県の選抜生に抜擢。学費や生活費が支給される給費生として、9月に東京開成学校への入学を果たします。
程なくして東京開成学校は改組され、逍遥は東京大学予備門へ編入。明治11(1878)年に本科である東京大学に進学します。

東京開成学校。のちに東京大学へと改組される。
在学中、逍遥は西洋文学を専攻していきました。
明治13(1880)年には、実際にウォルター・スコットの『ランマームーアの花嫁』を翻訳した『春風情話』の刊行を行います。
順風満帆に見えた逍遥ですが、悲しい別れが訪れました。
あまりの悲しさに学業にも支障が出たのか、同年の英文学の授業(講師はホートン)において落第してしまいます。
朝ドラと同様「ハムレットの登場人物の気持ちを述べよ」という問題で、日本式の勧善懲悪での回答が原因でした。
ドラマの堀井丈之助は飄々と振る舞っています。しかしその裏には、身内との辛い別れを隠す強がりがもととなっているのかも知れません。

シェイクスピアの『ハムレット』。逍遥の人生を劇的に変えることとなる。
■落第を乗り越えて文学士となる
ドラマの堀井丈之助は、困窮した学生という姿で描かれていました。実際の逍遥も暮らし向きは楽ではなかったようです。
明治15(1882)年、父・平之進が他界。最愛の身内の死は、またもや逍遥に衝撃を与えていました、
翌明治16(1883)年、逍遥は政治学の試験(講師はフェノロサ)に落第。これによって給費生の資格を剥奪されてしまいます。
しかし逍遥は、以前から下宿先の神田猿楽町や本郷の進文学舎で英語を教えるなど自活していました。
苦学生としての日々を送りながら、逍遥は同年7月に東京大学文学部政治科を無事に卒業。見事に文学士となりました。
卒業後、逍遥は同級生だった高田早苗の誘いで東京専門学校(早稲田大学の前身)の講師に就任。外国の歴史と憲法論を担当して学生の指導にあたります。
明治17(1884)年5月、シェイクスピアの翻訳本『自由太刀余波鋭鋒』を刊行。この時初めて「逍遥遊人」の号を用いました。
この由来は「ぶらぶら歩く」という意味があるそうです。なんだか朝ドラの堀井丈之助と近い雰囲気が感じられる名前ですよね。

逍遥の親友・高田早苗。のちに文部大臣も務めた。
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