「亡き太閤殿下(豊臣秀吉。演:ムロツヨシ)の天下を、徳川の好きにさせてなるものか!」
幼少期からその才覚を見込まれた三成は、豊臣政権における能吏として活躍。秀吉の死後も、あくまで忠義を貫き通すのでした。
石田「治部少輔」三成(画像:Wikipedia)
そんな三成は、治部(じぶ)または治部少輔(じぶしょう)などと呼ばれています。
これは律令時代から続く朝廷の部署「治部省」に属する官職ですが、どんな役割があったのでしょうか。
今回それを調べてみたので、紹介したいと思います。
■外交・訴訟・儀礼などを担当
治部省(じぶのしょう/おさむるのつかさ)は主に以下の職務を担当したそうです。
一、外事(外交)に関すること
一、戸籍(氏姓)に関すること
一、儀礼に関すること
外事については遣唐使や外国使節の饗応、戸籍については権利関係や訴訟、そして儀礼については雅楽や天皇陵墓の監督などが行われました。
しかし時代が下り平安期に入ると氏姓制度は後退、寛平6年(894年)の遣唐使廃止なども影響して、外国との接点も減少。
次第に職掌が狭まっていき、やがて仏事や僧尼の管理、雅楽や陵墓の監督を行うのみとなったと言います。
なお、戦国時代にはこうした官職はすっかり有名無実化(要するに名誉職)。石田三成が実際にこれらの職務を担当したことはありませんでした。
■治部省の構成
さて、そんな治部省の構成は以下のようになっていました。

関白の座を争って敗れ、治部卿に格下げされてしまった藤原兼家。菊池容斎『前賢故実』より
一等官(長官):治部卿(じぶのかみ)
定員1名、正四位下相当。
※ただし三位以上の公卿が兼任する例多し。
二等官(副官):治部輔(じぶのすけ)
定員は大少1名ずつ。
※ただし後に権官(ごんかん)も追加。例:治部権少輔(~ごんのしょう)等。
※権官は定員外の名誉職であるため、定員はなし。
治部大輔(じぶのだいすけ/だいゆう)、正五位下相当
治部少輔(じぶのしょうすけ/しょうゆう)、従五位下相当
三等官:治部丞(じぶのじょう)
定員は大少2名ずつ。
治部大丞(じぶのだいじょう)、正六位下相当
治部少丞(じぶのしょうじょう)、従六位下相当
四等官:治部録(じぶのさかん)
定員は大録1名、少録3名
治部大録(じぶのだいさかん/だいろく)、正七位上相当
治部少録(じぶのしょうさかん/しょうろく)、正八位上相当
その他の下級官吏
解部(ときべ)定員は10名、訴訟を担当した。
史生(しじょう)四等官の下に配属される書記官。
省掌(しょうじょう)使部、直丁の指揮監督者。
使部(しぶ/つかいべ)雑役人。
直丁(じきてい)主に力仕事を担当。
■終わりに
以上、石田三成の通称「治部(少輔)」について紹介してきました。外交や訴訟に儀礼。何となく、几帳面な彼に合っていそうな官職ですね。
家康が、最も戦いたくなかった男NHK大河ドラマ「どうする家康」では割愛されるでしょうが、もし彼が治部と呼ばれた時は、今回の話を思い出してみるのも一興でしょう。
石田三成 いしだ・みつなり
[中村七之助 なかむらしちのすけ]
巨大な豊臣政権の実務を一手に担う、才気あふれる、最高の頭脳の持ち主。家康もその才能に惚れ込むが、秀吉亡き後、太閤への忠義を重んじる三成は、家康と対立、激しい前哨戦の末、関ヶ原での大一番に臨むことになる。
※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト(登場人物)より
※参考文献:
- 笠井純一 編『八省補任』八木書店、2010年12月
- 吉川真司『律令体制史研究』岩波書店、2022年1月
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