「俺は何も指図せん。
暗に瀬名(演:有村架純)と松平信康(演:細田佳央太)を処刑するよう圧力をかけられ、二人を助けたい家康は身代わりを立てようと考えました。
しかし瀬名も信康も頑としてこれを断り、それぞれ自害を選びます。
もちろん史実だからそうなるのですが、今回の流れだと無理に感動シーンへこじつけているようで、却って興醒めの感は否めません。
何なら「悲劇の死を選ぶ自分」に酔っている節すら感じられます(特に瀬名)。
どうせ元からファンタジーなんだし、実は生きてました展開でもよかったんじゃ……正直どっちでもいいですけど。
そもそも家康はじめ皆で築山の謀に乗った以上、まとめて共犯。徳川家の重臣一同、連帯責任があるではないのでしょうか。
いくら五徳(演:久保史緒里)が書状を送ったところで、それで「二人だけの責任」とするのは、さすがにトカゲの尻尾切りが過ぎます。
この卑怯者ども、皆まとめて信長に滅ぼされてしまえ……そう感じたのは、きっと筆者だけではないはずです。
ともあれNHK大河ドラマ「どうする家康」第25回放送「はるかに遠い夢」。今週も振り返っていきましょう!
■信長も驚いた?五徳の書状には何が書かれていたか
書状をしたためる五徳(イメージ)
さて、劇中では割愛されていましたが、五徳は信長にこんな書状を送ったそうです(カッコ内は意訳)。
※全部で12ヶ条とのことですが、完全には残っていないと言います。
一 築山殿悪人にて三郎殿と吾身の中をさまさま讒して不和し給ふ事これを知って驚いた信長は、酒井忠次(演:大森南朋)・大久保忠世(演:小手伸也)らに真偽を訊ねました。
(瀬名は信康様に私の悪口を吹き込み、そのせいで夫婦仲は最悪です)
一 我身姫ばかり二人産たるは何の用にか立ん大将ハ男子こそ大事奈れ妾あまた召て男子を設け給へとて築山殿すゝめにより勝頼が家人日向大和守が娘を呼出し三郎殿妾にせられし事
(瀬名は私が女の子しか産まないと責め立て、勝手に信康様の側室を決めてしまいました)
一 築山殿甲州の唐人医師減敬といふ者と密会せられ剰へ是を便とし勝頼へ一味し三郎殿を申すゝめ甲州へ一味せんとする事
(瀬名は減敬=滅敬という医師と不倫し、信康様に武田へ寝返るようそそのかしています)
一 織田徳川両将を亡し三郎殿には父の所領の上に織田家所領の国を参らせ築山殿をば小山田といふ侍の妻とすべき約束の起請文書て築山殿へ送る事
(武田と組んで徳川・織田を滅ぼし、信康様には徳川領+α、瀬名は小山田なる武士との再婚を約束しているそうです)
一 三郎殿常々物あらき所行おほし我身召仕の小侍従と申女を我目前にて刺殺し其上女の口を引さき給ふ事
(信康様は私の侍女・小侍従を、私の目の前で惨殺しました)
一 去頃三郎殿踊を好みて見給ひける時踊子の衣裳よろしからず又おどりさまあしきとて其踊子を弓にて射殺し給ふ事
(信康様はある時、城下の踊り子を「イケてない」からと弓で射殺しました)
一 三郎殿鷹野に出給ふ折ふし道にて法師を見給ひ今日得物の奈きハ此法師に逢たるゆへなりとて彼の僧が首に縄をつけて力革とかやに結付馬をはせて其法師を引殺し給ふ事
(信康様は鷹狩の帰りに見かけた僧侶に難癖をつけ、その首に縄をかけて馬で引きずり殺しました)
一 勝頼が文の中にも三郎殿いまだ一味せられたるにはいはず何ともして勧め味方にすべしとの事に■へば御由断ましまさバ末々ハ御敵に組し■べきと存じ態々申上■事
(武田からの書状には「早く信康を味方につけよ」と記してあり、くれぐれも油断なさいませぬように)
※『後風土記巻第十六』「築山殿凶悍 付 信康君猛烈の事」
すると彼らもかばい切れない様子で内容を認め、両者の有罪が決まったのです。
ただし、信長自身が処刑を求めたかについては文献によって諸説あり、むしろ家康が積極的に命じたとも言われます。
■信康の切腹・半蔵の介錯
かくして天正7年(1579年)9月15日。二俣城で謹慎していた信康が切腹しました。
切腹に先立って、信康の守役であった平岩親吉(演:岡部大)は、自分を身代わりにして欲しいと家康に嘆願しました。
しかし家康は親吉の忠義に感謝しつつも「そなたが死んだところで、織田殿は信康を許すまい(要約)」とこれを却下したと言います。
そしていざ切腹の時、劇中では服部半蔵(演:山田孝之)が介錯を務めていましたが、江戸幕府の公式記録『徳川実紀』では少し様子が違うようです。

歌川芳虎「後風土記英勇傳」より渡部半蔵源守綱
……三郎殿二股にて御生害ありし時。検使として渡辺半蔵守綱。天方山城守通興を遣はさる。二人帰りきて。半蔵は半蔵でも、鬼半蔵(服部半蔵)ではなく槍半蔵、つまり渡辺守綱(演:木村昴)が立ち会ったのでした。三郎殿終に臨み御遺托有し事共なくなく言上しければ。……
……初半蔵は三郎殿御自裁の様見奉りて。おぼえず振ひ出て太刀とる事あたはず。山城見かねて御側より介錯し奉る。後年君 御雑話の折に。半蔵は兼て剛強の者なるが。さすが主の子の首打には腰をぬかせしと宣ひしを。山城守承り傳へてひそかに思ふやうは。半蔵が仕兼しをこの山城が手にかけて打奉りしといふては。君の御心中いかならんと思ひすごして。これより世の中何となくものうくやなりけん。 當家を立去り高野山に入て遁世の身となりしとぞ。……
※『東照宮御実紀附録巻三』「家康退村正刀」
しかし主君のご嫡男を手にかけることが出来ず、仕方なく同席していた天方通興(あまかた みちおき)が介錯しました。
「さすがの半蔵も、主君のご嫡男は斬れなかったか」……そんなことを言われてしまうと、通興の立場がありません。
いかに主命とは言え、主君のご嫡男を斬ってしまったことを恥じた通興は、高野山で出家遁世したということです。
それにしても「母上が逃げない内には逃げない」と言い張っていましたが、二人同時に逃げるという選択肢はないのでしょうか。
お互いが思い合うゆえに二人とも死なねばならなかった……と言えば聞こえはいいものの、何で三人揃っていた時に打ち合わせしなかったの?と思ってしまいます。
■時をさかのぼり、佐鳴湖にて

常春の築山を去る瀬名。夏でもピンクに咲いていたあの花は、いったい何だろう(イメージ)
……築山殿と申けるはいまだ駿河におはしける時より。年頃定まらせたまふ北方なりしが。かの勝頼が詐謀にやかゝりたまひけん。よからぬことありて。八月二十九日小藪村といふ所にてうしなはれ賜ひぬ。【意訳】瀬名は今川の人質時代から家康の正室であったが、武田勝頼(演:眞栄田郷敦)の調略にかかってしまった。(野中三五郎重政といへる士に。女の事なればはからひ方も有べきを心をさなくも討取しかと仰せければ。重政大におそれ是より蟄居したりとその家傳に見ゆ……
※『東照宮御實紀』巻三 天正七年-同八年「築山夫人自害」
そのため天正7年(1579年)8月29日に小薮村(佐鳴湖のほとり)で処刑されたのである。
介錯したのは野中三五郎重政(のなか さんごろうしげまさ)。任務を終えて戻ると、家康から責められてしまう。
「確かに処断せよとは言ったが、女性を斬るとは何事か」
主命に従ったにもかかわらず咎められたことに恥じ入り、蟄居(謹慎)したとのことである。
……身代わりの女性を解放して聖女ぶりをダメ押しアピール、家康の懇願も無視して頑なに死を選んだ瀬名。
(※)こういう身代わりは、生きたのを連れて来てはダメです。もし逃げられたらどうするんですか。もし筆者が女大鼠(演:松本まりか)の立場なら、すでに彼女を「首」にしておきます。そして瀬名を縛り上げてでも生かして連れ帰るでしょう(普通は家康>瀬名の意向を優先すべきです)。
文献によっては自害を拒んで斬首されたなどその最期には諸説ありますが、死を前に吐いたのがこちらの台詞。
……我が身は女なれども汝らの主なり。三年の月日に思い知らせん……『松平記』などでは、瀬名を処刑した関係者たちが次々とトラブルに見舞われ、彼女の怨霊に違いないと恐れられたのでした。
※『士談会稿』より
【意訳】私は女だが、そなたらの主である。今に見ておれ、三年以内に思い知らせてくれる!
それにしても、劇中では回想を濫用して時間を行ったり来たりするので、予備知識がないと歴史の流れがつかみにくいですね。
■覚えてますか?瀬名と命運を共にした“たね”
ここでいきなり、話は第6回放送「続・瀬名奪還作戦」に戻ります。
皆さま、瀬名に仕えていた”たね(演:豊嶋花)”という女性はご記憶でしょうか。
公式サイトの人物紹介で「瀬名と命運を共にする少女」なんて言うから、きっと今回出るだろうと思っていたら宣伝倒れでした。
この”たね”にはモデルが実在しており、仁木助左衛門(にき すけざゑもん)の妻と言われています。

瀬名の後を追って入水した“たね(仁木助左衛門室)”?(イメージ)
女子【意訳】伊奈忠基(いな ただもと)の娘で、実名は不詳。
仁木助左衛門某が妻となり、助左衛門死するの後三河国賀茂郡の内にをいて采地をたまひ、天正七年八月二十九日築山御方生害のときこれに殉ひたてまつるとて、入水して死す。
※『寛政重脩諸家譜 第五輯』巻第九百三十一「藤原氏 支流 伊奈」より
仁木助左衛門(にき すけざゑもん。
天正7年(1579年)8月29日に瀬名(築山殿)が処刑されると、彼女に殉(したが)い奉るため、入水自殺を遂げた。
……瀬名が斬られた後を追うため、佐鳴湖に身を投げた彼女の忠義は、今も人々に愛されています。
できれば、大河ツアーズでも彼女の存在に言及して欲しかったですね。
■その他ツッコミこまごま
勝頼を見限り、どこへとも去っていく望月千代(演:古川琴音)。穴山梅雪(演:田辺誠一)が「どこへ行く」と訊いているのですから、ウソでもいいから行き先くらい言いなさい。
瀬名も信康も、家康の指示に従う気がないなら、その場で議論を尽くしなさい。いざ計画が進んでから駄々をこねられると、現場が迷惑するのです。
いますよね、こういう「トップの意向に背いて、部下を困らせるお偉いさん」って。私事で恐縮ながら、当時のうんざり感を思い出しました。あなたのワガママで、こっちが怒られるんですよ。
一方、瀬名が斬られてムシャクシャした信長が、八つ当たりで佐久間信盛(演:立川談春)を追放していました。

佐久間信盛。「長篠合戦図屏風」より
信盛の追放は翌天正8年(1580年)ですが、物語(演者の都合?)的にこのままフェイドアウトするのでしょう。
信盛を糾弾する十九条の折檻状も興味深いのですが、けっこう長いため今回は割愛します。視聴者の皆さんは「家康に威張り散らしていた佐久間ざまぁ」とか思うのでしょうか。
それより、家康もバッチリ関与している「築山の謀(東国ユートピア計画)」について、家康を実質不問に処する信長が解りません。
史料に基づくならば家康は首謀者ではないし、せいぜい監督不行届くらいで済ませられるでしょうが、今回のストーリーでは謀議の最高責任者。
これを罰しなければ、家中に示しがつきません。いくら「俺の白兎」が可愛いとは言え、家臣にした以上はしっかり躾けなければいけません。
そんな甘々だから、松永久秀(まつなが ひさひで)とか荒木村重(あらき むらしげ)らに裏切られまくるのです。
……ま、こんなモンにしておきましょう。
■ところで「築山の謀」は、どこまで成果が出たの?

瀬名ユートピア(対織田連邦国家構想)概略図。家康は「国なんかどうでもいい」と言うが、滅ぼされるリスクを覚悟の上で妻の夢見る「慈愛の国造り」に賛同したのではなかったか(イメージ)
「国なんかどうでもいい」
……言ってくれやがりました「我らが神の君」。公権力をふりかざす為政者として、一番言ってはならぬセリフです。
確かに妻子が可愛いのは人として当たり前。しかしその地位にあり、恩恵を受けてきた以上、果たすべき務めがあります。
いったい石川数正(演:松重豊)や左衛門尉らは、今まで殿にどんな教育をして来たのか。
「いつか大切なものを守るために命をかける時がくると……今がその時なのです」
ドヤ顔で語る瀬名。あなたの大切なものが仮に家族(夫と息子、そしてフェイドアウトした娘など)だとしましょう。
あなたが今回ぶち上げたユートピア計画で夫が苦境に陥り、息子は切腹してしまったのですが、その事についてどう思われますか?
また国をあげての八百長に振り回された家臣や領民たちに対して、何か言うべきことはありませんか?
(※個人的には、2年間もかけて外交交渉など行った成果について伺いたいところです。上杉が、北条が、佐竹が、蘆名が、伊達が、南部がどんな反応をしたのか興味深く思います)
そういう「私の見えないところで他人が苦しもうが死のうが与り知らぬ」と言わんばかりの態度がいただけません。これは家康にも言えることです。
そもそも身代わりに生きた人間(恐らく領民。たぶん罪人ではない)を使おうとする当たり、かつて三河を「わしの家」と発言した本音が透けて見えます。
厭離穢土・欣求浄土……あの世の登譽上人(演:里見浩太朗)や、家康を糾弾した本多正信(演:松山ケンイチ)らが泣いていることでしょう。
■第26回放送「ぶらり富士遊覧」
……ともあれ次週の第26回放送は「ぶらり富士遊覧」、シリアス後の箸休めでしょうか。
展開としては武田家が滅亡、甲州まで遠征した信長が安土へ帰る道中、家康による接待を描くものと思われます。

武田家の滅亡。月岡芳年「勝頼於天目山遂討死図」
ということはつまり、岡部元信(演:田中美央)が壮絶な討ち死にを遂げる高天神城の合戦や、天目山における勝頼の最期はかなり端折られてしまう模様。実に残念でなりません。
「化けたな、家康」
瀬名の死によって何がどう化けるのか……少なくとも月代を剃って、ヘアスタイルは次週から変わるようです。少しは成長してくれているといいのですが……。
今後の展開に、目が離せませんね!
※参考文献:
- 『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 後編』NHK出版、2023年5月
- 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
- 『改正三河後風土記 上』国立国会図書館デジタルコレクション
- 『寛政重脩諸家譜 第五輯』国立国会図書館デジタルコレクション
- 黒田基樹『家康の正妻 築山殿 悲劇の生涯をたどる』平凡社、2022年10月
- 高知県立図書館『松平記』国文学研究資料館
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan