なんと、この制度がスタートしたのは、幕末期から。意外と古くからあったようです。
1866年に商人や留学生が海外へ行くことを認める決まりごと「海外渡航差許布告」が発令されました。手続きに則って申請をし、許可を得れば誰でも海外へ行けるようになりました。
そこで、許可証として発行されたのが海外行御印章です。これがパスポートの走りです。この海外行御印章が初めて発行されたのは、隅田川浪五郎(すみだがわなみごろう)という人物でした。
隅田川は、1864年に来日し、西洋式曲芸を日本で初めて披露したアメリカ人のサーカス曲芸師リチャード・リズリー・カーライルの誘いにのり、自身の一家4名と、濱碇定吉一家7名と、松井菊治郎の一家5名らと伴に「帝国日本芸人一座」を結成。パリ万国博覧会出演を目指して渡米します。
その際、慶應2年10月17日(1866年11月23日)付で、江戸幕府の外国奉行から印章を取得しました。このときの海外行御印章が、日本の政府が発行した旅券第1号です。なお、この時の印章には、「神田相生町二住ミ年齢三七歳、身長尺」と記載されていたそうです。
一行はその後、リズリーをマネージャーに、翌年1月からサンフランシスコを始め全米各地を巡業し、各地で絶賛と歓迎の嵐を受けます。
そして、4月には、ジョンソン大統領にまで謁見し、その後ニューヨーク市で6週間滞在、1867年にはパリ万国博覧会に出演し、3か月間フランスのパリに滞在、イギリスのロンドンでの11週間の滞在を始め、オランダ・スペイン・ポルトガルなど、ヨーロッパ各地を回り、ジャパニーズ・アクロバット・ブームを引き起こしました。
1869年に、一度帰国しますが、1875年にフランス人に誘われ再び出国、帰国してからは「三遊亭遊成」の名で寄席に出演したりなど、していたようです。
ル・モンド誌に掲載された日本帝国一座の軽業。wikipediaより。この頃から、本格的な曲芸をしている様子に驚かされる。
なお、その後の海外行御印章は、1878年に、海外旅券規則が発足されて「旅券」という名前になり、現在に至っています。
参考
- パスポート第1号 – 歴史公文書探究サイト『ぶん蔵』 BUNZO(2014年7月1日アーカイブ分)
- 慶応二年のパスポート『個人的不定期マガジン 月下の叫び』
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
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