■店は木村屋、のれん分けは木村家一家

銀座の木村屋といえばあんパンが有名です。特にあんパンが好きではないという人も、その企業名は耳にしたことがあるでしょう。
今回は、この木村屋という企業の歴史と、名称の歴史を辿ってみましょう。

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銀座の「木村屋」(Wikipediaより)

実は、木村屋は最初から「木村屋」という名前だったわけではなく、最初は明治二年に文英堂という店名でスタートしています。これが木村屋に変わったのは、翌年の明治三年に銀座付近へ移転した時のことでした。

店舗は明治七年にも移転しており、それが現在の銀座のあの場所です。酒種を使った木村屋独自のあんパンを作るようになったのもこの頃で、銀座であんパンを売っている木村屋、というイメージはこの頃に固まっていったわけです。

ちなみに、銀座の木村屋に今も掲げられている看板には「木村家」とあり、「屋」ではありません。これは看板を書いた山岡鉄舟が誤って書いたとされていますが、当時は親子で経営していたため必ずしも間違いとは言えないところがあります。

また昔の木村屋にはのれん分け制度があり、のれん分けされた各地の店舗には「木村家」の屋号が授けられています。「木村屋一家」ということですね。

企業名は木村屋ですが、ブランド名としての店舗名は木村家だったのです。

■「株式会社木村屋總本店」誕生

さて、木村屋は昭和5年に株式会社化します。これに伴い、名称も「株式会社木村屋總本店」となり、昭和61年には東京都中央区にある木村屋総本店ビルに本社機能だけが移転しました。


つまりこの時、銀座に店舗を構える木村屋は、本社から見て「いち店舗」の扱いだったことになります。

面白いのは、銀座の木村屋では今でも昔ながらの酒種を使ったあんパンが作られていますが、スーパーやコンビニ向けの製品を生産しているのは、上記の「本社」が運営する別の工場だという点です(現在は本社は江東区へ移転)。

もともと酒種を使ったあんパンは長期保存に向かないため、スーパー・コンビニ向けのものはパン酵母などを使った別の製法で生産されているのです。

日本屈指のパンメーカー・木村屋にはいくつもの名前がある!?その歴史と企業名の変遷をたどる


ちなみに、木村屋の正式な称号は上述の通り「株式会社木村屋總本店」ですが、ブランドのロゴマークは「銀座木村屋總本店」となっています。これは後述しますが、銀座の店舗が後に「株式会社銀座木村家総本店」として独立したためで、「銀座」を強調した形になったのです。

先に説明した木村屋と木村家の表記の違いもそうですが、木村屋の店舗・会社名・ブランド名の正式名称や通称はたくさんあり、歴史的な変遷を理解しないとややこしくてついていけないところがあります。



■七つの名前を持つ会社!?

さて、銀座の木村屋は、平成21年には「株式会社銀座木村家総本店」という名前で独立し、先述の「株式会社木村屋總本店」とは別物の関連会社となりました。もともと、双方は販売品や営業形態がだいぶ異なるので、これは自然な流れでした。

そして、昭和61年に中央区に移転していた本社、つまり「株式会社木村屋總本店」はその後も何回か移転を繰り返して、平成22年に江東区の工場内へと移動して今に至っています。

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その後の歴史は皆さんご存知の通りで、銀座の木村屋は、通称「銀座本店」「木村屋総本店」とも呼ばれながら、酒種あんパンの直売やレストラン・喫茶店の経営なども行っています。

また、お店の看板が「キムラヤ」とカタカナで書かれているため、「キムラヤのパン」などと表記されることもあります。

ちなみに同社のホームページ内のブランド名は「銀座木村家」となっており、ここでの表記は木村「家」です。


また「株式会社木村屋總本店」の方は、新宿を始めとする関東の各地域で直営店舗を運営しています。もちろん、これらの直営店舗と銀座の木村屋は完全に別会社による運営ということになります。

ちなみに株式会社木村屋總本店の各直営店舗の商品には「銀座木村屋總本店」のロゴがついています。このあたりもちょっとややこしいところですが、木村屋のような長い歴史を持つブランド店としての大らかさが、こうした点からも伺える気がします。

参考資料
株式会社木村屋總本店
銀座木村家
Study-Z

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