本格洋菓子店からコンビニまで、どこでも売っていて簡単に食べることができる国民的洋菓子・シュークリーム。今回はそんなシュークリームが日本に入ってきた歴史を紐解いてみましょう。
シュークリーム
もともとシュークリームの発祥地はフランスで、当地では「chou à la crème(シュー・ア・ラ・クレーム)」と呼ばれています。「chou(シュー)」はキャベツを指し、「crème(クレーム)」がクリームのことです。
つまり日本で呼ばれている「シュークリーム」は、本当はフランス語と英語の合成なんですね。
フランスでこのシュークリーム(の原型)が作られるようになったのは、イタリアのメディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスが、フランス王家に嫁いだのがきっかけでした。彼女は自国のパティシエを連れてきており、そこから「シュー」の製法が持ち込まれたのです。
フランスではグルメ文化を推し進めていたこともあって、このシューの製法はたちまち広まり、独自の改良が加えられていきました。
このシュー生地のことは「パータ・シュー」と呼ばれます。これに穴を開けてクリームを流し込んだお菓子が、日本のシュークリームのご先祖様となりました。
■明治に花開くシュークリーム文化
さて、日本でシュークリームが知られるきっかけを作ったのは、幕末に横浜で横浜八十五番館という西洋菓子店を開いたサミュエル・ピエールです。そして彼の弟子である村上光保氏が、日本初の洋菓子専門店「村上開新堂」をオープンさせ、シュークリームを販売。
さらに1884年には、現在の東京凮月堂の前身にあたる米津凮月堂によっても製品化されました。
ちなみに凮月堂は、洋菓子については時代の最先端を行っており、日本で初めてチョコレートを発売した店でもあります。
そんな風月堂が、シュークリームというお菓子に目をつけるのは必然だったと言えるでしょう。

本場のものに近いシュー・ア・ラ・クレーム
明治の終わり頃になると、洋菓子全般が一般家庭にも知られるようになりました。1904年にジャーナリストの村井弦斎が著した『食道楽』には頻繁にシュークリームの名が出てきます。
しかし、当時はまだシュークリームは高級洋菓子に近い扱いでした。一般庶民にまで「おやつ」として普及するのはまだまだ先のことで、冷蔵庫が普及する昭和30年代をまたなければなりません。
■シュークリームは日本人向け
さて、ところで最初に書いた通り、シュークリームという名称はフランス語と英語の合成語で、本場のフランスにはそのような名前の菓子は存在しません。最後に、フランスと日本におけるシュークリームの名称と実態の違いについて簡単に説明しておきます。
フランスには、シュークリームという名称の洋菓子は存在しません。シュークリームと聞いて日本人がすぐに想像するようなお菓子は、先に述べた通り「chou à la crème(シュー・ア・ラ・クレーム)」などと呼ばれるのが一般的です。

フランスの場合はアーモンドなどのトッピングとサクサクの皮が特徴
一番最初にサミュエル・ピエールが日本にもたらしたシュークリームの原型となるお菓子がどのようなものだったのかは不明ですが、なんにせよ、現在のシュークリーム(とその名称)は、日本人が工夫と改良を重ねて日本人向けに創造されたものと言えるでしょう。
フランスでは、ふわっとしたシュー皮よりもパリパリの食感のものが好まれる傾向があり、やはりchou à la crèmeもそうしたものがほとんどです。
このエクレアの歴史についても、いずれ解説したいと思います。
参考資料
シュークリームNavi(ナビ)
フランスおかし
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan