江戸時代から現代まで延々と伝わっている怪異として有名な、呪術「丑の刻参り」。憎い相手を呪う儀式をすれば、自分が直接手を下さなくても災いや死をもたらせるという恐ろしいイメージがありますが、そもそもは、良縁・心願成就が始まりだったとも伝わります。


【前編】では、平家物語の「橋姫伝説」や室町時代の世阿弥の謡曲「鉄輪」など、「丑の刻参り」の由来と伝わる話をご紹介しました。

古来から恐れられる呪術「丑の刻参り」そもそもは良縁・心願成就が始まりだった【前編】
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【後編】では、現在でも「丑の刻参り」に使用された「五寸釘を打ち込んだ跡」が無数に残る杉がある神社についてお話ししましょう。

■観光客で賑わう京都・清水寺に残る「呪いの杉の木」

古来から恐れられる呪術「丑の刻参り」そもそもは良縁・心願成就が始まりだった【後編】


 京都・清水寺本堂の北側に位置する「地主神社」(写真:photoAC)

春夏秋冬、国内はもちろん海外からの観光客で賑わいをみせている、京都・清水寺。約1200年の歴史を誇り、世界遺産にも認定されている由緒正しい寺院ですが、その清水寺本堂の北側に、この地の地主神を祀る「地主神社」があります。

創建期は日本建国以前とも伝わり、京都でも最古の歴史を持つ神社です。主祭神は、日本神話に登場する大国主神(おおくにぬしのかみ)、父神は素戔嗚命(すさのおのみこと)、母神は奇稲田姫命(くしなだひめ)などで、現在では縁結びの神さまとして若い女性やカップルに人気のスポットとして、多くの人がお参りに訪れます。

その地主神社には「恋占いの石」がありますが、原子物理学者ライル・ベンジャミン・ボーストにより科学的な年代測定で「縄文時代」のものと判明しているそう。かなり昔からこの神社が存在していたことがわかりますよね。

そして、この地主神社には「いのり杉」「のろい杉」と呼ばれ、江戸時代に「丑の刻参り」に使われた五寸釘が打ち込まれた無数の穴が空いた杉の木が現存しています。

古来から恐れられる呪術「丑の刻参り」そもそもは良縁・心願成就が始まりだった【後編】


 地主神社の「恋占いの石」は縄文時代からのもの((写真:photoAC)



■境内のおかげ明神の後ろにある「のろい杉・いのり杉」

古来から恐れられる呪術「丑の刻参り」そもそもは良縁・心願成就が始まりだった【後編】


 地主神社「おかげ明神」にある杉の木(写真:高野晃彰)

地主神社の境内にある小さな祠のひとつに「おかげ明神」。どんな願いごとも一つだけなら「おかげ(ご利益)」がいただける一願成就の神様です。

その「おかげ明神」の後ろにあるご神木「祈り杉」があるのですが、「のろい杉」とも呼ばれています。
というのも、そのご神木には五寸釘を打ち込んだ跡が無数に残っているから。

古来から恐れられる呪術「丑の刻参り」そもそもは良縁・心願成就が始まりだった【後編】


 丑の刻参りによって、妖怪を呼び出す女:葛飾北斎(写真:wikipedia)

また「祈り杉」の隣には、神の人形に縁を切りたい悪縁などの願いごとと姓名を書いて水に沈めるという厄除け・開運を願える「人形(ひとがた)祓い所」があります。

地主神社の「祈り杉」は、ただ呪いのためではなく、悪縁や厄災を断ち切って良縁の「おかげ」をいただける霊験あらたかな神さまとしても信仰を集めてきたようです。

「丑の刻参り」と聞くと恐ろしい呪いの儀式というイメージがおおきいのですが、本来の意味はその逆で心願成就の祈りの参拝だったそうです。

遙か昔、丑の年・丑の月・丑の日・丑の刻に貴船大神が天下万民救済のために、仏国童子を儒者とし貴船山中腹の鏡岩に降臨したことが由来……とも 伝わっています。

京都・地主神社の公式ホームページ、地主物語「いのり杉 のろい杉」にはこのように記してあります。

本当の声に素直になること

ときに人は、妬んだり、恨んだりするよこしまな心が出てくる場合がある。また、先の話のように、失った愛を取り戻すため、五寸釘を打ち込んで縁が切れるよう祈ったり、ということも。しかし、気付かないうちに、心の底ではいつも神に助けを求めている。この本当の声を神様は受け止めてくれ、拭い清めて、良縁へと導いてくれるのである。

京都・地主神社 地主物語 夏 「いのり杉 のろい杉」 より

心の底から祈るのであれば呪いではなく、良縁と出会えるように祈りたいものです。

※地主神社は社殿修復⼯事のため、2022年5月以降、約3年間の予定で閉門となっています。


【追記…こんな伝承も。「丑の刻まいり」で願いが叶った子ども】

ちなみに、柏市の「柏のむかしばなし」にも「丑の刻まいり」というお話があります。

流行病で多くの病人がでた村で、母親が病気になってしまった子どもがいました。母親の熱が下がらないことを心配した子は、村はずれの神社に「丑の刻参り」を一週間続けて「おっかあの病を治してください」と一心に祈り続けたそう。

一週間目、急に足元に白いネズミが現れ、子どもと母親の住む家まで一緒についてきたそうな。それから、どんどん母親の病は快方に向かったそうです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

古来から恐れられる呪術「丑の刻参り」そもそもは良縁・心願成就が始まりだった【後編】


 良い縁に出会えますよう。地主神社のお守り(写真:高野晃彰)

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