【前編】では、戦前の沖縄県営鉄道で起きた、日本史上最悪の鉄道爆発事故の経緯を見てきました。
「沖縄県営鉄道」を知っていますか?史上最悪の鉄道事故は旧日本軍のミスで起きていた【前編】

浦添市大平にある沖縄県営鉄道嘉手納線の線路(Wikipediaより)
さて、220人もの死者を出したこの事故の原因は、ガソリンへの引火でした。
列車の機関車のすぐ後ろの無蓋車(屋根の無い車両)に、ドラム缶入りのガソリンが積まれていたのです。それに、機関車の煙突から排出された火の粉が飛んで引火したのが直接の原因だといわれています。
これについては、爆発直前に列車から飛び降りて難を逃れた女学生も、前方の車両で大きな火の手が上がるのを目撃しているそうです。
もちろんガソリンに引火しただけなら、まだ火災だけで済んだかも知れません。しかし当時の沖縄県営鉄道は軍事輸送列車として使われていため、戦闘用の弾薬なども大量に積載していました。
それら全てに引火したことで、次々に誘爆を起こして多くの犠牲者を出す結果となったのです。
■住民も被害をこうむる
さらに、被害が拡大したのは他にも理由がありました。当時は、鉄道の線路脇周辺のサトウキビ畑に軍の弾薬が数百トンも野積みされていたのです。

鉄道で発生した爆発と火災はそれらにも引火したため周囲は火の海となり、あげく一部家屋に延焼しました。
このような状態だったので爆発は一度だけで終わらず何度も発生し、爆発音は一晩中響いていたといいます。付近の村人も壕などに避難しました。
また、列車には多くの貴重な医療品も積み込まれていましたが、これらも爆散。
■隠蔽工作と沖縄戦への影響
この事故が、戦後全く知られないままだったことからも分かる通り、軍部は沖縄県営鉄道事故の発生を徹底的に隠蔽しています。
そこまでしたのは理由があり、そもそも軍では、無蓋車にガソリン弾薬を積載することを厳禁していたのです。つまりこの事故は旧日本軍の不手際が原因で起きたことで、いわば軍にとっては大スキャンダルでした。
この事故について、第32軍の参謀長・長勇(ちょう・いさむ)中将は激怒し、注意喚起として次のように記しています。

長勇陸軍中将。沖縄戦で割腹自殺を遂げた(Wikipediaより)
「国軍創設以来初めての不祥事件なり、これにより当軍の戦力が半減せりというも、過言ならず。(中略)今、敵上陸するとせば、われは敵に対応すべき弾薬なく玉砕するほかは無き現状」(原文は旧字・カタカナ表記)。
つまり、この事故によって沖縄での日本軍の戦力は半減し、「これではまともに戦えない、玉砕するしかない」という認識が示されたのです。弾薬数百トン損失という被害は、それだけ看過できないものでした。
もうお判りでしょう。この事故は沖縄戦の直前に起きており、のちの沖縄戦における防衛体制や物資補給に大きな影響を与えたのです。
歴史にイフはありませんが、もしこの事故が起きていなければ、沖縄戦の顛末も少しは変わっていたかも知れません。ちなみに先述の長勇中将も、沖縄戦で追い詰められて割腹自殺しています。

沖縄平和祈念堂
沖縄県営鉄道が正式に廃線となったのがいつなのかは不明です。事故によるダメージと、その後の米軍による破壊でいつの間にか失われ、終戦と占領期のどさくさの中で忘れられていったということなのでしょう。
戦争が遠因となり、旧日本軍の物資管理体制の杜撰さが原因で引き起こされた、この日本史上最悪の「忘れられた鉄道事故」。しかしここ10年ほどの間に史料が発掘され、ようやく事故の実態も広く知られるようになってきています。
参考資料
事故災害研究室
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan