ソーセージの産地といえばドイツやオーストリアなどのヨーロッパの国々が有名ですが、実は日本にもソーセージの歴史があります。今回は、日本でソーセージがいつから作られ、食べられるようになったのか、その歴史を見ていきましょう。
ソーセージとは、鳥獣類の挽肉や刻み肉に塩や香辛料などで味付けし、腸や人工的な袋に詰めた加工食品の総称です。世界中でさまざまな種類や呼び方がありますが、日本では一般的に太さや乾燥の度合いでウインナー、フランクフルト、サラミなどに分けられます。
日本で最初にソーセージが登場したのは明治時代のことです。当時は欧米文化が流入し、日本国内でも牛肉や豚肉などの食肉消費が増えていました。
その中で、日本で初めてソーセージを作った人物が現れます。その名は大木市蔵といいます。
大木は1895年に千葉県横芝光町に生まれ。1910年に横浜の食肉店に就職し、ドイツ人コックからソーセージの製法を学びました。1917年には神奈川県畜産共進会にソーセージを出品し、銀賞を獲得しています。これは日本で初めてのソーセージの品評会出品でした。
■会社と店舗を設立
しかし、当時の日本人にとってソーセージはまだ馴染みのない食べ物で、大木は日本の食材や環境に合わせて工夫しなければなりませんでした。保存方法や衛生管理も難しい課題だったといいます。

あらびきソーセージ
彼は1920年に『大木ハム製造商会』を設立し、ソーセージの普及と技術向上に努めます。そして1924年には日本初のソーセージ専門店を銀座に開きました。
この店は日本人の口に合うように工夫したソーセージを販売し、外国人だけでなく日本人にも人気だったといいます。
しかし当時の日本ではソーセージは高級品として扱われており、一般家庭ではなかなか手が出ませんでした。
■震災を経て「ソーセージの父」へ
また、関東大震災や第二次世界大戦で横浜の工場や店舗は壊滅的な被害を受けてしまいます。そのため大木は故郷の千葉県横芝光町に戻り、1946年に大木ハム千葉工場を設立しました。
そして大木は、安全で美味しいハム・ソーセージを広めるために全国各地で食肉加工講習会や技術指導を行いました。また東京帝国大学や東京農業大学で講師を務めたり、ハム・ソーセージの日本農林規格(JAS)の制定に携わったりしています。

多くの弟子を育てて「日本のソーセージの父」と称されるようになった大木は、1973年には勲五等双光旭日章に叙されました。
彼の設立した会社は、株式会社千葉大木ハムという名前で現在も残っています。
同社は大木の遺した本物の手作りの味を守り続けており、新鮮な千葉県産豚肉を使用し、増量剤や化学調味料などを一切使わず、塩と香辛料で味付けしたソーセージを販売しています。
また同社は「ソーセージの日」の認定や「ソーセージの父大木市蔵WEB記念館」の運営などを通じて、大木市蔵の業績や精神を伝える活動も行っています。
参考資料
◆+雑学
◆大木市蔵WEB記念館
◆日本ハム・ソーセージ工業協同組合
◆ダイヤモンド・オンライン
◆まるごとe! ちば
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