日本には数多くの妖怪が存在しますが、その中には入道・坊主・小僧・法師など、僧侶に関係するものが多く見られます。
『ゲゲゲの鬼太郎』を始めとする妖怪エンターテイメント作品に触れたことがある人なら、心当たりがあるでしょう。
佐脇嵩之『百怪図巻』より「見越入道」(Wikipediaより)
では、なぜ日本の妖怪には僧侶に関係するものが多いのでしょうか?
もちろん、本当のところは妖怪に名前をつけた人に聞かなければ分かりませんが、考えるためのヒントはあります。
例えば「〇〇男」「○○女」「○○爺」「○○婆」という形で名付けられている妖怪が多いのは、ある種の男性・女性・老爺・老婆が厄介な存在だというイメージが昔の人にはあったからでしょう。
たぶん人間のそういうメンタリティは昔も今も変わらず、私たちは嫌な人に対してそんなふうにあだ名をつけたりしますね。
そう考えると、昔の日本人にとって、僧侶というのは実は嫌われ者・鼻つまみ者だったのではないかという推測が成り立ちます。
では、昔の僧侶はそんなに嫌われていたのでしょうか。その答えは、江戸時代までの日本社会における寺と庶民の関係にあります。
■嫌われる僧侶
江戸時代まで、寺は政治的・経済的・社会的な権力を持っており、庶民に対してさまざまな圧力をかけていました。
端的に言って、江戸時代以前の寺の僧侶というのは、もはや憎悪の対象でもあったのです(そうでない僧侶もいたでしょうが)。
その原因として代表的なものが、寺請制度です。

寺請制度とは、江戸幕府が定めた仏教徒登録制度です。
また、この制度は幕府によるキリスト教弾圧政策の一環として設けられた側面もあります。庶民はキリシタンではなく仏教徒であることを僧侶に証明してもらうために、寺社へ多額の費用を支払わなければなりませんでした。
また費用面で言えば、祭礼費・葬式費・建築費・修理費なども高額で、さらに奉仕活動を強いられることもあり、庶民には寺に不満や恨みを抱く十分な理由があったと言えます。
そして、僧侶の中には修行を怠り、贅沢三昧だった僧侶もいたようで、そうした人間は陰口をたたかれていました。
■傍証としての廃仏毀釈騒動
こうした憎悪の蓄積があった傍証としては、明治時代に発生した「廃仏毀釈」騒動が挙げられるでしょう。
明治維新とあわせて、明治新政府による「神仏判別令(神仏分離令)」が出された際は、政府の想像を超える規模の寺社の破壊や焼き討ちなどの騒動が全国で起こりました。政府もこの騒動を押さえるのにやっきになったと言われています。
つまり、統治者が意識していないところで、庶民は寺社に対して爆発寸前の怒りを抱えていたのです。
こうした寺と庶民の関係が、妖怪と僧侶の関係に反映されたのではないでしょうか。
寺に対して不満や恨みを抱いていた庶民は、僧侶を妖怪化することで、自分たちの感情を表現したかも知れません。

鳥取県境港市・水木しげるロードに設置されている「蟹坊主」のブロンズ像
もちろん、僧侶を化物扱いするようになった理由はそれだけではなく、宗教者ならではの神秘性というのも見逃せないでしょう。
これはいわば、神通力や法力を使う僧侶の伝説が各地に残っていることの裏返しでもあります。
庶民にとって良い僧侶であれば、そうした神秘性は良い超能力として印象に残るでしょう。しかし妖怪扱いされるような悪徳な僧侶であれば、その神秘性は邪悪なものとしてイメージされたに違いありません。
参考資料
鳥山石燕 画図百鬼夜行全画集 (2005年・角川文庫ソフィア)
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan