合戦においては家康が優位に立ったものの、秀吉は老獪な政治力で家康の大義名分を奪ってしまいました。
すなわち、家康側の総大将であった織田信雄(おだ のぶかつ)を籠絡、和睦に持ち込んだのです。
これ以上戦えなくなった家康は、ひとまず秀吉と和睦せざるを得ませんでした。
まさしく「戦闘には勝ったが、戦争には負けた」状態。家康としては、このまま大人しく引き下がりたくはありません。しかし、このまま戦い続ければ、秀吉の圧倒的物量を前にやがて押しつぶされるでしょう。
そんな中、秀吉から「徳川・羽柴両家の末永い友好すなわち天下泰平のため、徳川殿のご子息を、当家の養子にお迎えしたい」という申し出がありました。
養子と言えば聞こえはよいものの、実質的には人質です。正直出したくありません。
於義丸、後の結城秀康(画像:Wikipedia)
さぁ、誰を出したものか……そこで白羽の矢が立ったのが、次男の於義丸(おぎまる)、後の結城秀康(ゆうき ひでやす)でした。
今回はなぜ於義丸が選ばれたのか、その出生から紹介したいと思います。
■つけた名前はナマズ(ギギ)に由来

ギギ。ナマズの一種で、ヒレをギィギィ鳴らす習性がある(イメージ)
……三河守殿は、徳川殿第二の御子、御母は家の女房、いさゝかゆゑ有て、三河国産見(うぶみ)といふ所にて生れ給ひ、徳川殿御子ともし玉はず、本多作左衛門重次とりて養ひ参らせ、御名をば於義丸殿と申奉る……於義丸は天正2年(1574年)生まれ。
※『藩翰譜』第一 越前
彼女は家康の子を懐妊した際、家康正室の築山殿(つきやまどの)によって浜松城から追い出され、三河の片田舎でひっそりと出産します。
「殿、男児が生まれましたぞ!」
普通に考えればめでたいことで、家康としても確保しておきたいところ。しかし家康は築山殿に睨まれるのが怖くて、これを我が子と認知しませんでした。
「ならば、せめて名前をつけてやって下さい」
懇願された家康は、生まれた男児に於義丸と名づけました。文献によっては於義伊(おぎい)とも呼ばれます。
「ぺちゃむくれた顔が、ギギ(鱨)みたいじゃからな」
ギギとはナマズの一種で、捕まえるとギィギィ鳴くからそういうのだとか。写真を見ると愛嬌のある顔ですが、子供の名前につけるのはいかがなものでしょうか。
よほど可愛くなかった、あるいは築山殿の手前そう振る舞わねばならなかったものと思われます。
この話を聞いて、可哀想に……と思ったのは、読者(あなた)や筆者だけでなかったのがせめてもの救い。
於義丸と於古茶母子は徳川家臣の本多作左衛門(ほんだ さくざゑもん。
余談ながらこの作左衛門、鬼のような豪傑ながら大変な子煩悩で、父親に愛されない於義丸を放っておけなかったのでしょうね。
■信康の計らいで父子の再会

心やさしい兄・信康(画像:Wikipedia)
……御兄岡崎の三郎殿、如何にもして、父上の見参に入ればやと思召し、於義丸殿三歳の御時、徳川殿岡崎に城に入らせ玉ふこと有りしに、かねて能く教へ参らせ、殿の渡らせ給ふほとりの明障子、引うごかし、父上々々と聞え給ひしに、徳川殿はやく心■させ給ひ、御座を立たせ給ふ所を、三郎殿御袖を扣へたまひ、信康が弟の候を、今日見参に入ればやと宣ふ、深く怨みいきとほり給ふ御気色見えければ、此上は見参無くては事あしかりぬと思召され、徳川殿再ひ御座につかせ玉ふ、三郎殿頓て於義丸殿の御手を引て参り玉ひ、近う渡り給へとありし程に、御膝の上にかきすゑ玉ひしかば、三郎殿歓ばせ給ふこと斜ならず……そんなこんなで、早二年の歳月が流れました。於義丸を不憫に思う一人、長兄の松平信康(まつだいら のぶやす。岡崎三郎)が二人の再会をコーディネートします。
※『藩翰譜』第一 越前
「何じゃ三郎、たっての用事とは……」
岡崎城へと呼び出された家康。するとそこには、あの於義丸がいるではありませんか。
「げえっ、於義丸!」
「ちちうえー」
無邪気に駆け寄ってくる於義丸。恐らく信康が、あらかじめ仕込んでおいたのでしょう。
「よいか於義丸。今日はそなたの父上に会わせてやるからな」
「はい、あにうえ!」
……とか何とか。時に於義丸は3歳。
「すわっ!」
逃げ出そうとする家康の袖をつかみ、信康は諭しました。
「……母上が恐ろしいのは解ります。しかし父上。自分で生ませておきながら、生まれた我が子を愛さないのは、あまりにも人の道に反しませぬか?」
「……むむむ」
まったくその通りで、そもそも家康が侍女に余計な手出しをしなければ、こんな事にはならなかったのです。
「何がむむむですか。さぁさぁ、この世に生ませた以上は、我が弟を愛でていただきますぞ!」
という訳で、信康は於義丸を抱っこして、家康の膝に座らせます。
「わーい、ちちうえだー!」
「良かったな於義丸。ホラ、父上も於義丸にいい子いい子するのです!」
「あーわかったよ。ほーらおぎまるいいこいいこー(棒)」
「ちちうえ、だいすきー!」
何やかんやと言ったって、いざ膝に抱かせてしまえば情も移ろうと言うもの。
完全に苦虫を噛み潰した顔の家康ですが、いつかきっと於義丸を迎え入れてくれるはず……そんな幸せな未来を思い描き、弟に慈愛の眼差しを送る信康なのでした。
■信康死後、浜松に迎えられるが……

「可哀想に……」なおも於義丸を養う作左衛門。
……かくても猶重次が許にぞ、ひとゝせならせ玉ひける。三郎殿うせ給ひて後は、徳川殿此人のましますを、頼もしき事に思召す……しかし家康の意志は固く、と言うよりよほど築山殿が恐ろしかったようで、於義丸たちが浜松に迎えられることはありませんでした。
※『藩翰譜』第一 越前
「まったく、父上は頑固よなぁ……」
何とか於義丸を家康の元へ迎え入れさせたい信康でしたが、そうこうの内に天正7年(1579年)に築山殿事件が発生。
信康と築山殿は、武田勝頼(たけだ かつより)と内通していた容疑で処刑されてしまったのです。
家康としては徳川家の後継者として立派に成長していた嫡男を喪い、途方に暮れる思いでした。
「……あぁそう言えば、男児ならもう一人いたっけな」
この期に及んで家康は、思い出したかのように於義丸を浜松城へ呼び出します。怖い築山殿がいなくなったので、もう遠慮は要らなくなったのでしょう。
「あぁ、母親の方も来てよいぞ」
於義丸と一緒に於古茶も招かれましたが、この時すでに寵愛は西郷局(さいごうのつぼね。於愛の方)に移っており、この年に三男の長丸(ちょうまる。徳川秀忠)を生ませていました。何なら翌天正8年(1580年)には四男の福松(ふくまつ。
長丸に福松……於義丸との名づけに、愛情格差を感じてしまいますね。可哀想に……。
しかし嫡男の長丸がいるなら、もう於義丸は要らないんじゃ?と思うかも知れません。当時は乳幼児の死亡率が高く、スペアがあるに越したことはないのです。
要するに「長丸が無事に育つまで、保険として養っておく」意図が透けて見えます。さすが「我らが神の君」、あらゆるリスクに対して万全の備えを欠かしません。
■人質に異父弟を差し出そうとするが……

家康をこっぴどく叱る於大の方(画像:Wikipedia)
……天正十二年冬、豊臣秀吉北畠殿につきて、御子一人、養君とし奉るべきよしを申さる、徳川殿異父同母の御弟、三郎四郎殿をのぼせ給ふべしとありしに、御母上ゆるさせ給はねば、力なく、於義丸殿のぼらせ玉ふべきに定り、この年十二月の末、大坂尓趣かせ玉ふ……そうこうの内に歳月は流れて天正12年(1584年)、於義丸は11歳になっていました。
※『藩翰譜』第一 越前
もうすぐ元服かな。とりあえず後継者候補を確保できれば、それなりの体裁は整うな……なんて思っていた矢先に、秀吉から養子縁組の申し入れです。
さて、誰を出したものでしょうか。長丸と福松は絶対に嫌です。
どうしようかなぁ……そうだ!家康が思いついたのは、異父弟の松平康俊(やすとし。源三郎)か松平定勝(さだかつ。源四郎)。
家康の母・於大の方(おだい)が松平広忠(ひろただ。家康実父)と死別後、久松俊勝(ひさまつ としかつ)と再婚して生んだ息子たちです。
彼ら(※どっちでもいい)なら、別に秀吉へ差し出したところで痛くもかゆくもないや……なんて思っていたら、於大の方が猛反対。家康はこっぴどく叱られてしまいました。
「(※我らが神の君の名誉に関わるため、詳細は割愛)……っ!!!」
「……はい、すいませんでした」
そもそも源三郎はかつて甲斐の武田信玄(たけだ しんげん)へ人質に出され、エライ目に遭っているのです。
これ以上、あなたの勝手で息子たちを傷つけられてなるものか……母の気魄に圧倒された家康は、仕方なく於義丸を秀吉に差し出すのでした。
■終わりに

やがて立派に成長する秀康(武生市指定文化財)
……秀吉深く悦ひ、やがて元服の儀行なはれ、羽柴秀康と名のらせ、河内国にて所領参らせ、一万石 明る十三年七月十一日、みづから関白し給ふとき、秀康朝臣御年十二歳なるを、四位の少将兼三河守になさる……さて、於義丸を迎えた秀吉は大喜び。じっさい人質ではあるけれど、やはり子供好きだったのかも知れません。
※『藩翰譜』第一 越前
間もなく於義丸を元服させ、名前を羽柴秀康(ひでやす)と改名させました。秀吉の秀に、家康の康。両家の絆を深める役割を期待されたことでしょう。
そして河内国に1万石の所領を与えられ、翌天正13年(1585年)7月11日に秀吉が関白に就任すると、秀康も四位の位階と少将・三河守の官職を与えられました。
時に12歳、秀康の人生はまだまだ始まったばかりです。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では岐洲匠さんがどんな熱演を魅せてくれるのか、今から楽しみにしています!
※参考文献:
- 新井白石『藩翰譜 一』国立国会図書館デジタルコレクション
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan