世にも稀なる美少年の役者や若侍などを相手に繰り広げられた、愛・絆・義理・嫉妬・執念などが複雑な男同士の心情が描かれています。
【前編】に続いて【後編】でも代表的な話をご紹介しましょう。
前編の記事はこちら
「愛する男を抱いたこの手がさぞ憎かろう」狂おしく咲き乱れた江戸時代の衆道『男色大鏡』【前編】
■江戸時代には「男色」はごく普通のことに…

男性客の背後で女中と接吻をする紫帽子を被った色若衆。(写真:wikipedia)
「男色」の中でも、戦国時代に発展した「衆道」は、武士と武士、主君と小姓などの間で性愛のみならず精神的なつながりや絆をも重んじた関係で、多くの有名武将も衆道を好んでいたと伝わっています。さらに江戸時代に入ると武士社会のみならず町人や歌舞伎役者などの間にも浸透、「男色」は女性を愛することと同様、ごく普通のこととして広まったそうです。
■見目麗しい若い役者が対象に

野郎帽子(※)をかぶって正座する男性(写真:浮世絵サイト)※野郎歌舞伎の女形の役者が、前髪をそったあとを隠すために置き手拭 てぬぐ いをしたのが変化して帽子のようになった。
たとえば、見目麗しい若衆歌舞伎(※)の役者は、昼間は舞台を務め夜はご贔屓筋に呼ばれ性愛の相手を務めることが増えました。
女形の修行中に舞台に立つことのない少年を性愛の相手として呼ぶ料理屋や居酒屋など「陰間茶屋」も誕生。当初は芝居小屋と併設されていたものの、徐々に男色目的として独立し増えていったそうです。
※若衆歌舞伎:まだ前髪を剃り落としていない成人前の美少年が中心に演じる歌舞伎で、1652年(承応元年 徳川家綱が将軍の時代)には江戸で禁止になった。
浮世草紙『男色大鏡』には、男性である井原西鶴だからこそ描けた男性同士の濃密な世界が描かれています。

修行中の少年役者との性愛を描いた鈴木春信 の浮世絵。(写真:wikipedia)
■「傘持つてもぬるる身」
『男色大鏡』中でも濃密な想いが描かれているとして有名な「傘持つてもぬるる身」。
(あらすじ)
親思いの美少年・長坂小輪。ある日出会った武士に推挙され、明石藩藩主の寵童になるも、「権力者のいいなりになって衆道を行うのは本意ではない」と反抗する。
古狸の怪異を退治したことでさらに殿の愛を受けることになるも、殿の寝所の隣で神尾惣八郎という恋人と愛を交わしているところを監視役に見つかってしまう。
詰問されても頑として惣八郎の名前を明かさないことから、嫉妬のあまり小輪憎しとなった殿に左手・右手・首と順番にはねられてしまうが、その処刑の瞬間に小輪は殿に「愛する男を抱いたこの手が、憎いでしょう」と、挑発し処刑される。愛しい小輪の最期を知った惣八郎は、二人の密会を殿に密告した監視役を殺し、小輪の墓の前で切腹して後を追う。
非常に激しい火花が散るような愛と、頑なに命がけで想う相手を守る絆の強さ、そしてどうにも心まで手にいれられなかった殿のむき出しの嫉妬の感情が伝わってくるお話です。
小輪は愛した男を守り抜くとともに、あえて殿を挑発しその手にかかることで「衆道ではご法度とされている不義」を働き裏切ったつぐないをした……とも想像できるのではないでしょうか。

小輪の亡骸は、兵庫県明石市の朝顔寺に葬られという。(写真:photo-ac)
■「忍びは男女の床違ひ」

女形の陰間が男性と接吻する様・宮川一笑(写真:wikipedia)
(あらすじ)
美貌や舞の才能などすべてにおいて恵まれていた役者初代・上村吉弥は、ある夜「高貴な方」より屋敷に招かれる。女の姿をして屋敷の奥の間に入り、そこの主人らしき官女と盃を交わし始めたところ、兄君の当主が帰還。
男色の兄に、好みの役者を盗られてしまったという女性という、なんともこの時代らしいエピソードです。
武士・町人・歌舞伎役者etc ……それぞれの間で育まれ、ときには狂おしいばかりに繰り広げられた衆道・男色。
さまざまな階級や社会の中で日常的なものとして受け入れられいろいろな作品にも描かれ幕末の頃まで続きましたが、文明開化と共に同性愛を悪とする西洋キリスト教が広まったこと、高嶺の花であった遊郭が手軽になったこと、都市部の女性の人口が増えたこと……さまざまな理由から徐々に衰退していったそうです。
最期までお読みいただきありがとうございました。
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