ビジネスシーンなどで敏腕家、手腕家といった意味で使われることが多いと思いますが、実は吉原遊郭で働くとある女性たちを指す言葉でもありました。
そこで今回の記事では、そんな吉原遊郭の「遣手(やりて)」の仕事内容や、どんな人がこの仕事をするのかなどについて詳しくご紹介していきたいと思います。
■吉原における「遣手」とは?
吉原ではその中心となる遊女たちが注目されがちですが、実はさまざまな職業・立場の人が働いていました。女性たちの華やかな世界、かと思いきや、男性も働いていました。
吉原における「遣手」は、妓楼に必ずいた、遊女や新造(若い遊女で新しくつとめに出た人)、禿(花魁の身の回りの世話や雑用をする少女)を監督する女性のことを指します。
香車(きょうしゃ)や遣手婆(やりてばば)とも呼ばれました。「ばば」と呼ばれるのは、遊女たちから恐れられていたことが由来だとか。
なお、「遣手」は店に一人とは限りませんでした。
■「遣手」になれる人は?
「遣手」は基本的に、元遊女が30歳を超えて、身請けされなかった場合などに就くことが多かったようです。吉原の文化や風習を知らなければ勤まらない難しい役どころであり、経営にも関わることから、誰でもかれでも「遣手」になれたわけではないでしょう。また、楼主からの信頼も厚くなければなりません。
■「遣手」の具体的な仕事内容とは?

「遣手」の仕事内容は多岐にわたります。遊女全体の管理・教育だけではありませんでした。客や当主、遊女間との仲介も行いますし、お客さんの品定めをし、遊興の程度をはかったり、食事の手配などを行ったりもしました。
もちろん大変なことも多くあります。遊女が特定の客と親しくなりすぎてしまったときなどには、二人の仲を裂くこともありました。また、脱走や心中を図った遊女の折檻をすることもありました。
■「遣手」は大変な仕事の割に無給か少額の給与だった?
上記のように責任のある大変な仕事をする「遣手」ですが、給料は無給か少額だったといわれています。祝儀金や遊興費の歩合を収入としていました。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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