■「国民政府を相手にせず」

【前編】では、近衛文麿が政治の世界に足を踏み入れて第一次近衛内閣を組閣し、満州事変が勃発したところまでを見てきました。その後、混迷する日本の政治情勢の中で近衛はどのように立ち回ったのでしょうか。


前編の記事はこちら


日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【前編】
日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったの...の画像はこちら >>


満州事変をきっかけに、日中戦争が始まります。早めに和平にこぎつけるという選択肢もあったのですが、近衛は陸軍に押されて1938(昭和13)年1月に有名な「近衛声明」を発表し、ここで「国民政府を相手にせず」と和平を拒絶する宣言を出します。

和平が絶望的になったのは、陸軍の独走も大きな原因でした。一時はドイツ大使のトラウトマンを仲介にした和平交渉も試みられたのですが、陸軍が勝手に南京を占領したことで、これも潰されてしまったのです。

その後も、軍のさまざまな勢力が勝手に動いて功を競いますし、外相の広田弘毅はそれを追認するだけなので役に立ちませんでした。

日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【中編】


広田弘毅(Wikipediaより)

近衛は状況の打破をめざして慌てて内閣改造を行いますが、軍に毅然とした態度を示せないまま退陣します。

ちなみに、前述の近衛声明はその後も二回出されています。二度目の声明では、日本を盟主として東アジアに大規模な経済圏を作るという内容の「東亜新秩序建設」を発表しました。ここで日中戦争の意味・性格が微妙にずらされたことで、和平の余地ができたと言えるでしょう。

そして三度目の声明では、中国と「善隣友好・共同防共・経済提携」という原則で関係を結ぶことを宣言しましたが、これは結局うまくいきませんでした。



■第二次近衛内閣のスタート

第一次内閣退陣後は枢密院議長の職にあった近衛ですが、第二次近衛内閣への期待は相変わらず高く、また彼自身も再登板に向けて新体制運動に取り組んでいました。そしてその後も三つの内閣が短期間で次々に退陣し、また近衛に出番が回ってきます。


近衛は1940(昭和15)年7月22日に、満を持して第二次内閣をスタートさせました。この時陸相に起用されたのが東條英機、外相に起用されたのが松岡洋右です。

日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【中編】


1940年7月19日・右から陸軍大臣東條英機、海軍大臣吉田善吾、外務大臣松岡洋右、そして近衛(Wikipediaより)

この時すでに日中戦争は泥沼の様相を呈していました。元々日本の仮想敵国はロシアでしたが、ロシアと戦うには中国に拠点を置かなければならないという発想で満州などに進出したのに、今度は中国侵略を許さないという立場のアメリカと一触即発の状態になっていたのです。

第二次内閣では、まず日独伊三国同盟に調印して、さらに挙国一致の新体制である「大政翼賛会」を発足。これにより政党は全て解散しました。さらに翌年には日ソ中立条約を締結し、彼の構想する、日独伊ソの4国ブロックを築いてアメリカと対峙するという計画が実現に近づきます。

ただ、アメリカと戦争をしても資源や戦力の面で勝ち目がないのは明らかで、近衛は並行して対米交渉を続けていました。ハワイでルーズベルト大統領と首脳会談を行う構想もあったと言われています。



■第三次内閣の放棄

その後、対米交渉を進めるために一度総辞職し、1941(昭和16)年7月18日、対米強硬論者だった松岡洋右だけを交代した第三次内閣を発足させました。当時のルールでは意見の合わない大臣をクビにすることはできないので、閣内での意見の不一致が解消されなければ総辞職しか道はなかったのです。

ところが、今度は日本軍が南部仏印(フランス領インドシナ)に進駐したことでアメリカの怒りを買います。
対日石油輸出の全面ストップ、在米日本資産の凍結などの措置がとられ、政局は取り返しのつかない事態になりました。

それでも近衛は、まだアメリカと中国との話し合いを模索していました。ところがここで、「内閣総辞職か開戦か」の二択を迫ってきたのが陸相・東條英機です。

日本憲政史上の「負の大物」のひとり・近衛文麿とは何者だったのか【中編】


東條英機(Wikipediaより)

この方針を決定した当時の近衛は、もはやどうすればいいか分からず迷走状態だったようです。10月16日にはついに内閣府一致を理由に内閣を投げ出してしまいました。彼は総辞職の直前、「政界を引退して僧侶になりたい」と漏らしていたそうです。

続きは【後編】で見ていきましょう。

参考資料
八幡和郎『歴代総理の通信簿』2006年、PHP新書
宇治敏彦/編『首相列伝』2001年、東京書籍
サプライズBOOK『総理大臣全62人の評価と功績』2020年
倉山満『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』2017年、宝島社
倉山満『学校では教えられない歴史講義 満州事変』2018年、KKベストセラーズ
井上寿一『教養としての「昭和史」集中講義』2016年、SB新書

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

編集部おすすめ