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1543年(天文12年)、ポルトガル人が種子島に鉄砲をもたらした後、日本にはポルトガル人やスペイン人が次々と訪れ、貿易を行いました。

狩野内膳作『南蛮人渡来図』(右隻)神戸市立博物館所蔵
当時、ポルトガル人やスペイン人は“南蛮人”と呼ばれ、彼らとの貿易は“南蛮貿易”と呼ばれました。そして、この南蛮貿易によってポルトガル人やスペイン人は、本国から鉄砲を初め地球儀や地図、眼鏡、カステラ、象など南蛮渡来の珍品を運んできては日本に売りつけ利益を上げたというのが、おそらく多くの人が抱く南蛮貿易のイメージだと思いますが、これは大きな誤解です。
実際の南蛮貿易は、すでに構築されていた琉球、アンナン(ベトナム)などのアジア人による日本と中国との中継貿易に、新たにポルトガル人やスペイン人が参入したというものでした。
その証拠に、南蛮貿易の主要な輸入品は中国産の生糸などアジアの物品であり、輸出品は銀などでした。
ポルトガル人やスペイン人は中国のマカオやインドのゴアに拠点を置き、そこで中国産の生糸を仕入れ、それを日本で売りさばいたのです。そして、日本で得た銀をマカオやマニラに運び、それを中国に輸出して利益を上げていました。

また、貿易に従事するポルトガル人の豪華な服装は、ほとんどがアラブ服であり、肩を張らせた上衣(じゅばん)はアラビア語のジュッバであり、大きくふくらんだズボンで丈が足首まであるシルワール(ハレム・パンツ)も元々はアラブ服。
南蛮文化において宗教以外の部分はアラブ文化の要素が非常に強いということもわかっています。
要するに、地球儀やカステラなど本物の南蛮渡来品は、あくまで南蛮貿易における“おまけ”のようなもので、けっして主要な物品ではなかったのです。
参考
- 岡 美穂子 『商人と宣教師 南蛮貿易の世界』(2010 東京大学出版会)
- 宮田絵津子『マニラ・ガレオン貿易 – 陶磁器の太平洋貿易圏』(2017 慶應義塾大学出版会年)
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