この商業政策は、学校の教科書でも頻繁に取り上げられており、「楽市令」の通称で知られ、商工業者に自由な商取引・営業活動を認める市場法です。
中世の日本では、公家や寺社などの支配者が座商人に特権を与えつつ、課税を強化して利益を追求していました。同時に、座に属さない者(無許可商人)が市を開くことを取り締まる政策も行われていました。
しかし、信長はこれらの既存の中世的な秩序を一掃し、逆転の発想で楽市令を布告しました。
洛中洛外図
楽市令は、1567年に美濃国加納の岐阜城下で初めて布告され、その後も近江国金森や近江国安土でも発令されました。特に安土城下における楽市令はよく知られています。
信長は、商慣習にとらわれず、座の特権を認めずに多くの者に自由に商いを行わせることで、経済を活発化させる独自の発想を持っていました。
一般的に、楽市楽座は信長が最初に導入した政策と誤解されがちですが、実際には信長よりも早く、1549年には南近江の戦国大名である六角承禎が全国に先駆けて楽市令を発令していました。
また、1566年には今川氏真も富士大宮で同様の政策を実施しており、信長はこれらの先行例を参考にしながら自らの政策に取り入れたと考えられています。
ちなみに、“楽市”とは、寺社や公家に収める市場税 ・ 営業税の免除、及び商人 特権 の 廃止そのもののことをいい, “楽座”とは“座”そのものの廃止のことをいいます。
そして、「楽」とは、規制が緩和されて自由となった状態のことをいいます。
参考:
- 安野眞幸「富士大宮楽市令」(2002 『弘前大学教育学部紀要』87号)
- 池上裕子『織田信長』(2012 吉川弘文館)
- 宇佐見隆之 『日本中世の流通と商業』(1999 吉川弘文館)
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