■食事・排泄の状況も記録

【前編】では、孝明天皇が亡くなった際の状況を説明しました。

全身から血を噴いて崩御…幕末期の孝明天皇の突然死で囁かれた「岩倉具視犯人説」を検証【前編】
全身から血を噴いて崩御…幕末期の孝明天皇の突然死で囁かれた「...の画像はこちら >>


本稿では、当時から噂されていた「岩倉具視犯人説」について検証しましょう。


全身から血を噴いて崩御…幕末期の孝明天皇の突然死で囁かれた「岩倉具視犯人説」を検証【後編】


孝明天皇(Wikipediaより)

孝明天皇が亡くなるまでの二週間の間の食事状況は克明に記録されており、歴史家の磯田道史も「御痘瘡ニ付両役来書写」という古文書をもとに調べ上げています。

この古文書は、幕府に帝の病状を報告した文書の写しで、それによると孝明天皇の食欲は、亡くなる直前まで旺盛だったそうです。

亡くなる三日前の22日には、侍医団も「天皇の疱瘡は山場を越えた」とはっきり宣言しています。また23日もしっかり食事を採っており、トイレにも自分で立っています。

ちなみに、御所のトイレは砂と紙を使った引き出し式のものでした。さらに当時の帝は革製で漆塗りのおまるも使っていたことから、亡くなる直前の天皇の排泄の様子や便の量もきちんと確認されています。



■「岩倉具視犯人説」の噂

いずれにせよ、天然痘の症状では【前編】で説明したような容体の急変はありえません。また最期に全身から血を噴いたという病状についても同様で、あまりにも不自然です。

このため、暗殺を疑う人は当時からいました。天皇の側近である中山忠能は、日記に「この度、御痘全く実痘には在らせられず、悪瘡発生の毒を献じ候」と、大奥の老女・浜浦による手紙を写した文章を書き残しています。ただ、当時のこれらの記録は噂程度のレベルの内容がほとんどで、現在も正確な死因ははっきりしません。

では、暗殺だとしたら犯人は誰でしょうか。
ここで、よく言われてきたのが岩倉具視犯人説です。当時、公家だった岩倉が、思想的に邪魔だった孝明天皇を毒殺したのではないかというものです。

全身から血を噴いて崩御…幕末期の孝明天皇の突然死で囁かれた「岩倉具視犯人説」を検証【後編】


旧500円札で使われていた岩倉具視の肖像

「岩倉具視犯人説」の根拠は何でしょうか。

当時の岩倉は、朝廷の中でも屈指の尊攘倒幕論者でした。彼は幕府を倒して、王政復古による新政権の樹立をすべきだと主張していたのです。

これは【前編】で説明した通り公武合体派だった孝明天皇とは真っ向から対立する主張です。岩倉の主張を通すには、「徳川幕府は絶対に必要だ」とする孝明天皇は邪魔な存在でした。

当時の情勢から言っても、孝明天皇が存在する限り武力倒幕の見込みはなかったと言ってもよく、そこで公家であり天皇に近づきやすい立場にあった岩倉が毒を盛ったのではないかということです。

実際、孝明天皇が亡くなっていなければ、徳川政権が続いていた可能性は非常に高いです。その後の岩倉が明治天皇を即位させ、討幕派が有利になる状況を作り上げたのはご承知の通りです。



■「無罪説」による反証も可能

また動機についても、彼は孝明天皇から情報漏洩を疑われており、辞官し出家するよう強要されていました。よって岩倉は、孝明天皇を暗殺するだけの政治的な動機もあり、また私怨もあったと言えそうです。


とはいえ、物的証拠は一切ありません。

また状況証拠も薄弱で、彼が現実的に当時どのように毒を盛ったのかは不明です。一応、当時の噂で「天皇には筆を舐める癖があったので、穂先に岩倉が毒を塗った筆を献上したのだろう」とは言われていたようですが。

動機についても、本当に岩倉が孝明天皇を恨んでいたという証拠はありません。

むしろ存在するのは、岩倉は孝明天皇の暗殺犯「ではない」という状況証拠の方です。

孝明天皇が亡くなる七カ月前の1866年5月に、岩倉は孝明天皇へ「全国合同策密奏書」を提出しました。そこには、幕末期の政治的混乱について天皇自身が謝罪し、これからの改革を誓ってはどうか、そうすることで天下臣民も朝廷による政治についてきてくれるだろう、というアドバイスが書かれていました。

このことから、岩倉は孝明天皇を、新政権の中心になるべき人物として考えていたと推測できます。

それに天皇が崩御した直後には、友人への手紙で「千世万代の遺憾」と、嘆きの言葉を書き綴っています。

もちろん、これらをもってして岩倉は無実だと断言することはできません。しかし、状況証拠に乏しい上に、あったかどうかも分からない動機を根拠とする「有罪説」と比べると、「無罪説」の方がよほど状況証拠がそろっていると言えるでしょう。

参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年
磯田道史『日本史を暴く』中公新書・2022年

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

編集部おすすめ