多くの苦難に満ちた生涯は、多くの家臣たちが支えたればこそ乗り越えられたのでした。
今回は代々徳川家(松平家)に忠義を尽くした勝(すぐろ)一族を紹介。こと家康に仕えた勝重久・勝重昌父子に焦点を当てて行きます。
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■勝一族について
勝と書いて「すぐろ」と読ませる苗字は珍しいですが、『寛永重脩諸家譜』では「かつ」と読むなど諸説あるようです。

藤原師輔。菊池容斎『前賢故実』より
藤原師輔(もろすけ)の子孫・本多助定(右馬允。兼通流か)の末裔と言います。
勝 寛永系図訓すゞろこの『寛政重修諸家譜』では系図が勝重信から始まっているので、せっかくだから重信の代から紹介していきましょう。
今の呈譜に、師輔の後裔本多右馬允助定 按ずるに兼通流 が末孫なりといふ。
※『寛政重脩諸家譜』巻第千九十三 藤原氏(支流)勝
■初代・勝重信(六郎左衛門)
●重信【意訳】先祖代々、松平家臣でした。重信は松平清康(家康の祖父)・松平広忠(家康の父)2代に仕えています。
六郎左衛門
先祖より累代御家人たり。重信は清康君広忠卿につかへたてまつる。
※『寛政重脩諸家譜』巻第千九十三 藤原氏(支流)勝
他に詳しい事績が紹介されていませんが、松平家の勃興(清康)と没落(広忠)をまじまじと見届けたことでしょう。
■二代目・勝重久(安右衛門)

献上された銘刀にご満悦(イメージ)
●重久天文5年(1536年)生~慶長13年(1608年)没
安右衛門 與一郎 母は某氏。
広忠卿をよび東照宮に歴仕し、上野城を攻給ふの時先登し、また鎗下の高名あり。大場にをいて矢にあたり、創をかうぶる。元亀三年三方原合戦のとき敵と太刀打し、錣をかけてかの兵をとる。御帰陣ののち仰によりて其帯せし所の吉房の刀を献ぜしかば、永楽銭十貫文をたまふ。その後本多作左衛門重次が手に属し、某年死す。年七十。
今の呈譜、慶長十三年死す。年七十三。法名栄喜。
※『寛政重脩諸家譜』巻第千九十三 藤原氏(支流)勝
別名を勝與一郎、母親は不詳。
元亀3年(1572年)の三方ヶ原合戦では武田の軍勢を相手に奮戦し、敵と太刀打ちとなりました。兜の錣(しころ。後頭部とうなじを保護する部分)から刃を貫いて敵を討ち取ったと言います。
敵が吉房の銘刀を持っていたのでこれを戦利品として持ち帰ったところ、家康から献上するよう命じられました。
「のう安の字、これをわしに譲らぬか?もちろんタダでとは言わぬ」
「……御意」
果たして安右衛門は銘刀を献上、代金として永禄銭十貫文(現代の価値で約10~12万円)を与えられます。
その後、本多重次(作左衛門)の部下となって数々の戦場を渡り歩き、慶長13年(1608年)に73歳で亡くなったそうです。
■三代目・勝重昌(五左衛門)

本多作左衛門重次(画像:Wikipedia)
●重昌永禄10年(1567年)生~寛永16年(1639年)6月11日没
五左衛門 母は某氏。
天正十八年小田原陣のとき、めされて東照宮に拝謁し、本多作左衛門重次が隊下となりて供奉す。のち本多正純が手に属し、元和八年十月正純罪かうぶるのとき處士となり、某年死す。年七十二。法名道喜。 今の呈譜、寛永十六年六月十一日死す。年七十三。法名道■。
※『寛政重脩諸家譜』巻第千九十三 藤原氏(支流)勝
天正18年(1590年)の北条征伐に際して家康と謁見。父と同じく本多重次の部隊に配属されました。
後に本多正純の家臣となりますが、元和8年(1622年)10月に正純が謀叛の容疑で改易されると浪人(処士)となり、寛永16年(1639年)6月11日に73歳で亡くなったそうです。
■終わりに

勝家の紋「細輪に抱茗荷」(イメージ)
【勝氏略系図】以上、松平家(徳川家)に代々仕えたマイナー武将・勝一族を紹介してきました。
藤原師輔……本多助定(右馬允)……勝重信(六郎左衛門)-勝重久(安右衛門)-勝重昌(五左衛門)-勝重定(三右衛門)-勝忠宗(源左衛門)-勝忠重(助九郎)-勝重晴(兵蔵)=勝忠昌(清次郎)-勝忠次(斧三郎)……
※『寛政重脩諸家譜』巻第千九十三 藤原氏(支流)勝
没落してしまった重昌の子・勝重定は徳川秀忠に仕え、なおも忠義を尽くしていきます。
●重定生年不詳~承応2年(1653年)8月16日没
三右衛門 母は某氏。
台徳院に仕へたてまつり、御徒をつとむ。其後富士見番に転じ、承応二年八月十六日死す。
※『寛政重脩諸家譜』巻第千九十三 藤原氏(支流)勝
【意訳】秀忠に仕えて御徒(おかち。騎乗せず徒歩で従う下級武士)を勤め、のちに富士見番(江戸城・富士見櫓の警固)に当たりました。
徳川の治世は、こうした地味な武士たちの忠義によって支えられ、実に二世紀半の永きにわたり栄えたのです。
今もこの勝(すぐろ/すぐり/かつ)一族は日本のどこかで活躍していることでしょう。どこかで巡り合えたら胸が熱くなりますね!
※参考文献:
- 『寛政重脩諸家譜 第8輯』国立国会図書館デジタルコレクション
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan