令和6年(2024年)NHK大河ドラマ「光る君へ」。皆さんも楽しみにしていますか?
今回の舞台は、今からおよそ千年ほど昔の平安時代。
現代と同じように優秀な者がいれば、そうでもない者もおり、それぞれ悲喜こもごものドラマが演じられていたことでしょう。
今回はそんな一人・藤原顕光(ふじわらの あきみつ)を紹介。その無能ぶりを笑われながら、20年以上にわたって政治の中枢に居座り続けたのです。
■散々に罵倒された藤原顕光の失態ぶり
だから間違いのないよう、貴族たちは儀式の様子を記録し、その前例を踏襲できる努めたのです。
儀式における失敗は評判を大きく落とし、その後の人事査定にも影響を及ぼしたことでしょう。
藤原顕光の失態について、例えば藤原道長はこう罵倒しています。
顕光の失態に激怒する道長(イメージ)
子供じみた繰り返し表現に、怒りのほどが伝わってくるようです。
また、道長のおじである藤原実資は、顕光をこのように評しました。
うーん、実に散々な評価ぶり。普通これほどの無能者であれば、たちまち更迭されてしまいそうなものです。
しかし彼は政治の中枢に残り続けました。なぜなのでしょうか。
■藤原顕光は無能ではなかった?3つの疑問
藤原実資が顕光を批判したのは、自分の流派と異なっていたから?(イメージ)
藤原顕光は、実は無能ではなかったのかも知れない。そんな仮説が立てられています。
(1)道長が権力の頂点にあった時代、20年以上にわたって大臣職を道長一族から守り抜いたこと。
(2)顕光の「失態」とされる行為は、有職故実(作法)の流派によって解釈が違うこと。
(3)顕光の失態は、その多くが道長に関連する儀礼で行われていること。
つまり顕光は(1)権力の座を守り抜く力量があり(2)失態は流派の解釈違いに過ぎず(3)道長に対して含むところがあった(恥をかかせる目的でわざと行った)。という解釈です。
確かに大河ドラマの紹介どおり、政敵たちが次々と倒れたのは幸運であったことでしょう。しかしそれだけなら、道長によって淘汰されてしまったはずです。
例えば藤原実資は、顕光の従兄弟で名臣として知られた藤原斉信(なりのぶ)に対しても同様に批判していることがありました。このことからも、顕光への批判は必ずしも無能を意味しなかった可能性も考えられるでしょう。
■終わりに
「まったく、顕光のヤツめ……」不満をこぼしながら帰路をたどる実資(イメージ)
文中の「前後倒錯」が何の順序かは不明ですが、恐らくは何を先に出したの引っ込めたの、そんな事かと思われます。
有職故実の大家であった実資は、自分と異なる流派の者を批判したかっただけなのかも知れませんね。
「みーんなアイツのこと、バカにしてるぞ!俺だけじゃないんだからな!」
我が意のままにならなかった顕光に対して、悔しがっていたのでしょうか。
果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、どのように描かれるのか、楽しみにしています。
2024年大河ドラマ『光る君へ』※参考文献:告井幸男『摂関期貴族社会の研究』塙書房、2005年8月
トップ画像出典: NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより
今回の舞台は、今からおよそ千年ほど昔の平安時代。
主人公・まひろ(紫式部)が飛び込んでいく王朝世界では、様々な貴族たちが活躍していました。
現代と同じように優秀な者がいれば、そうでもない者もおり、それぞれ悲喜こもごものドラマが演じられていたことでしょう。
今回はそんな一人・藤原顕光(ふじわらの あきみつ)を紹介。その無能ぶりを笑われながら、20年以上にわたって政治の中枢に居座り続けたのです。
■散々に罵倒された藤原顕光の失態ぶり
公卿 藤原 顕光(ふじわらのあきみつ)紹介文にある通り、貴族の中でも上級クラスの公卿にとって、つつがなく儀式を執り行うことは至上課題でした。
宮川 一朗太(みやかわ・いちろうた)
道長の一回り年長の公卿(くぎょう)。儀式での失敗など、その無能ぶりはしばしば嘲笑されていた。しかし、競争相手である公卿たちが早く亡くなったことで、政治の中枢に残る。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイト(登場人物)より
だから間違いのないよう、貴族たちは儀式の様子を記録し、その前例を踏襲できる努めたのです。
儀式における失敗は評判を大きく落とし、その後の人事査定にも影響を及ぼしたことでしょう。
藤原顕光の失態について、例えば藤原道長はこう罵倒しています。
顕光の失態に激怒する道長(イメージ)
「至愚之又至愚也」【意訳】(顕光め、ここ一番でやらかしおって、)大バカのまた大バカだ!
※藤原実資『小右記』長和5年(1016年)1月27日条
子供じみた繰り返し表現に、怒りのほどが伝わってくるようです。
また、道長のおじである藤原実資は、顕光をこのように評しました。
「左相国、五品より始めて丞相に至るまで、万人嘲弄、已に休慰なし」【意訳】左相国(左大臣。顕光)の無能ぶりについて、下は五位から上は丞相に至るまで、嘲り笑わぬ者はいなかった。笑い疲れて休む暇がないほどである。
※藤原実資『小右記』寛仁元年11月18日条
うーん、実に散々な評価ぶり。普通これほどの無能者であれば、たちまち更迭されてしまいそうなものです。
しかし彼は政治の中枢に残り続けました。なぜなのでしょうか。
■藤原顕光は無能ではなかった?3つの疑問

藤原実資が顕光を批判したのは、自分の流派と異なっていたから?(イメージ)
藤原顕光は、実は無能ではなかったのかも知れない。そんな仮説が立てられています。
(1)道長が権力の頂点にあった時代、20年以上にわたって大臣職を道長一族から守り抜いたこと。
(2)顕光の「失態」とされる行為は、有職故実(作法)の流派によって解釈が違うこと。
(3)顕光の失態は、その多くが道長に関連する儀礼で行われていること。
つまり顕光は(1)権力の座を守り抜く力量があり(2)失態は流派の解釈違いに過ぎず(3)道長に対して含むところがあった(恥をかかせる目的でわざと行った)。という解釈です。
確かに大河ドラマの紹介どおり、政敵たちが次々と倒れたのは幸運であったことでしょう。しかしそれだけなら、道長によって淘汰されてしまったはずです。
例えば藤原実資は、顕光の従兄弟で名臣として知られた藤原斉信(なりのぶ)に対しても同様に批判していることがありました。このことからも、顕光への批判は必ずしも無能を意味しなかった可能性も考えられるでしょう。
■終わりに

「まったく、顕光のヤツめ……」不満をこぼしながら帰路をたどる実資(イメージ)
「今日の作法、前後倒錯、聊か其の事を記す、筆毫刓るべし、ただこれ略記なり。卿相、壁の後に出でて嘲り咲ふ」【意訳】今日の作法は何だありゃ。前後の順序はまるでデタラメ、さすがにちょっと書き留めておこうとしたら、ツッコミどころが多すぎて筆が削れてしまったではないか。これでも一部に過ぎないのに。その酷さと言ったら、みんな嘲笑が止まらぬほどであった……。
※藤原実資『小右記』長和5年1月25日条
文中の「前後倒錯」が何の順序かは不明ですが、恐らくは何を先に出したの引っ込めたの、そんな事かと思われます。
有職故実の大家であった実資は、自分と異なる流派の者を批判したかっただけなのかも知れませんね。
「みーんなアイツのこと、バカにしてるぞ!俺だけじゃないんだからな!」
我が意のままにならなかった顕光に対して、悔しがっていたのでしょうか。
果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では、どのように描かれるのか、楽しみにしています。
2024年大河ドラマ『光る君へ』※参考文献:告井幸男『摂関期貴族社会の研究』塙書房、2005年8月
トップ画像出典: NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより
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