みなさんは、お酒に酔って失敗してしまった経験はありますか?自分が恥をかくだけならまだしも、他の人に迷惑をかけてしまうのはあまり良くないですよね。

いつの時代も、お酒に失敗はつきもの。
室町時代のはじめ、才能がありながらもお酒に酔ってとんでもない失態をおかしてしまった人物がいました。

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■土岐頼遠ってどんな人?

今回ご紹介する人物は、土岐頼遠(とき・よりとお)です。鎌倉時代末期から南北朝時代を生きた武将・守護大名です。

もともとは父と鎌倉幕府の北条得宗家および六波羅探題に仕えていました。しかし、後醍醐天皇に呼応して反鎌倉幕府側となります。その後は足利尊氏に仕えます。

1339年(暦応2年)に父の死を受けて、家督を継ぎ、美濃国守護2代目となります。

■婆裟羅大名の代表例!

土岐頼遠は、婆裟羅大名(ばさらだいみょう)の代表例ともいえます。婆裟羅大名とは、権力などを気にせず自由奔放に振る舞った大名たちのことを指します。行いだけでなく、服装が派手・華やかだったことも彼らの特徴です。

土岐頼遠は次にご紹介するような事件を起こしたこともあり、まさに婆裟羅大名の代表格として数えられています。



■酒に酔って……

酒に飲まれた男の末路…酒に酔って上皇にとんでもない愚行を働き処刑された武将・土岐頼遠。その愚行とは?


事件は1342年(康永元年/興国3年)に発生します。
土岐頼遠は笠懸(かさがけ)の帰りに、仏事を終えて屋敷に戻る途中の光厳(こうごん)上皇の一行に行き当たります。

こういったことがあった場合は、馬から降りて上皇たちをお見送りするのがマナーでした。しかし、土岐頼遠は酒に酔った勢いで牛車を蹴倒す(矢を射たという説もあります)という狼藉行為におよびました。

この件を知った足利尊氏の弟・足利直義は激怒し、土岐頼遠は処刑されてしまいます。

ちなみに、笠懸とは、武芸鍛練のために行われた射芸のひとつ。走る馬の上から遠くの的を射る競技です。似たものに流鏑馬(やぶさめ)がありますが、流鏑馬が神事の意味合いが強いのに対し、笠懸は実践的な武芸です。

■軍事の才能があったのに……

『太平記』によれば、頼遠の武名は高く評価されています。上記のようなとんでもない事件を起こした場合、一族全員が滅ぼされてしまう可能性もありました。

しかし、実際処刑されたのは頼遠のみでした。これは、それまでの頼遠や彼の一族の功績があったから、という説もあります。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。


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