天正2年(1574)に起きた三村氏と毛利氏の戦い「備中兵乱」。その戦いの中で侍女を率いて毛利氏と戦った勇猛な女性がいました。


その女性の名前は上野隆徳(うえの-たかのり)の妻である鶴姫。備中松山城城主・三村家親の娘でした。

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今回は備中兵乱で鶴姫が戦った理由とその活躍及び鶴姫の夫・上野隆徳についてご紹介します。

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敵将に一騎打ちを要求!侍女34人の”女軍”を率いて毛利軍と戦った戦国時代の女傑「鶴姫」の活躍




■仇敵が味方に付いたことで備中兵乱が勃発

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宇喜多直家/Wikipediaより

鶴姫の活躍を紹介する前に、備中兵乱がどのようにして起こったのか紹介します。

備中兵乱が起こる前の備中国(現在の岡山県西部)は、毛利元就の元で力を発揮した三村家親がほぼ全域を有しておりました。

しかし永禄9年(1566)、家親は宇喜田直家によって暗殺される事態に見舞われます。

跡を継いだ三村元親は仇を討つべく何度も戦いますが、直家を討てずに時間だけが経過していきました。

そんな折、天正2年(1574)に直家は毛利氏との同盟関係を結びます。この事実を知った元親は家臣たちの反対を押し切って織田信長と手を結びました。

元親離反を一大事と見た毛利輝元は小早川隆景を総大将に約8万の兵を三村氏討伐に向けて進軍させました。



■上野一族の悲劇

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小早川隆景/Wikipediaより

備中兵乱を受けて元親の家臣・上野隆徳は鶴姫と共に三村氏に味方しました。天正3年(1575)には備中松山城が落城し、鶴姫の兄である元親は自害。


子の勝法師丸も討ち取れたことで戦国大名としての三村氏は滅亡しました。

元親の死を受けて、隆景は隆徳が守る常山城へ軍を向け、約6500人で城を包囲します。

隆徳はわずか200人の兵を率いて戦いますが、風前の灯火でした。そして、一族自決を決めた隆徳は、女性も含めた別れの酒宴を催しました。

酒宴後、57歳の継母が柱に刀の柄を縄で巻きつけ、そこに突進し自害。隆徳の長男・隆秀は腹を十文字に切り自害し、次男を隆徳は刺殺します。

そして、隆徳の妹は継母が使用した刀を使って自害しました。隆徳は自害した継母と隆秀、妹をそれぞれ介錯しました。



■鶴姫の活躍と最期

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乃美宗勝/Wikipediaより

上野一族の惨状を目の当たりにした鶴姫は、毛利氏に一矢報いようと出陣を決意。

鎧に1メートル余りの太刀を身に着け、紅の薄衣を鎧の上に羽織り、白柄の薙刀を脇に挟んで庭に飛び出しました。

この様子を見た侍女は「女性が戦えば、死後に修羅の責め苦に遭ってしまいます。」と制止します。

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しかし、鶴姫は「この戦場を西方浄土と見立て、修羅の苦しみを極楽への営みと思えば、何も苦しくない。」と笑って制止を振り切りました。


この覚悟に触発された34人の侍女は、鶴姫の後を追うように出陣しました。

鶴姫率いる女軍は、乃美宗勝率いる700人の毛利軍と対峙。敵を討ちつつ犠牲を出しながら宗勝を見つけると、鶴姫は一騎打ちを申し出ます。

しかし、女性だから一騎打ちはできないと宗勝は応じませんでした。

宗勝の反応を受け、鶴姫は持っていた太刀(三村氏秘蔵の名刀・国平)を宗勝に渡し、死後を弔ってほしいと願い出た後、常山城に撤退。

その後は南無阿弥陀仏を念じ、短刀を口にくわえながら、そのままうつ伏せになって絶命しました。

生き残った侍女たちも後を追うように自害したといわれています。

鶴姫の最後を見届けた隆徳は、切腹して命を絶ちました。

■最後に

敵将に一騎打ちを要求!侍女34人の”女軍”を率いて毛利軍と戦った戦国時代の女傑「鶴姫」の活躍


常山城跡にある女軍の墓/Wikipediaより

最期まで武士としてあろうと毛利氏に対抗した鶴姫。

ここまでの徹底抗戦を断行したのは、父・家親より太刀や薙刀などの武芸を仕込まれ、男勝りの女性として育てられた背景があったことがうかがえます。

結局のところ、毛利氏に大打撃を与えることはできませんでしたが、三村一族の気概を見せつけることはできたと考えてしまいます。

ちなみに、常山城は現存しておりませんが、常山城跡の山頂付近には鶴姫や34人の侍女を祀った「女軍の墓」が残されています。


参考:楠戸義昭『戦国武将の本当にあった怖い話 』‎2013年、三笠書房

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