古代、日本の中心地であった奈良県には不思議な石造物がたくさん存在します。中でも、飛鳥地方(明日香村)にはロマンを感じさせる多くの石造物があることで有名です。


その中では、益田岩船(ますだのいわふね)・鬼のまな板・鬼の雪隠などは、古墳の一部であることが判明していますが、亀石・二面石・猿石など、製造年代や用途が不明な謎の石造物も多く存在します。

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「マラ石」(撮影:高野晃彰)

今回は、そんな明日香村にある謎の石造物の中でも、ひときわ存在感を感じさせるその名も「マラ石」を紹介しましょう。

■奥飛鳥の入り口に単体で立つ陽石

奈良・明日香村にある謎の石造物!その名も「マラ石」とは?正体不明の陽石のことを考えた
「飛鳥浄御原宮跡」に残る井戸跡(撮影:高野晃彰)


「飛鳥浄御原宮跡」に残る井戸跡(撮影:高野晃彰)

ヤマト政権下において、多くの大王の宮が置かれたと考えられてる奈良県の飛鳥地方。592年に推古天皇が豊浦宮(とゆらのみや)で即位してから、694年に持統天皇が藤原京へ遷都するまでの約100年間は、歴史が飛鳥を中心に動くため、この時代を飛鳥時代と称しています。

飛鳥地方には、数えきれないほどの文化的遺産が眠っており、今も発掘調査で次々と新たな歴史的・考古学的発見がなされているのです。

そんな飛鳥の自然や文化的保護、その活用を図る一環として、整備されたのが国営飛鳥歴史公園。「高松塚周辺地区」「石舞台地区」「甘樫丘地区」「祝戸地区」「キトラ古墳周辺地区」の5地区からなり、それぞれの特色を生かした公園づくりが行われています。

その中で、蘇我馬子の墓と言われる石舞台古墳がある石舞台地区の一画にある「祝戸地区」に、今回紹介する石造物「マラ石」があるのです。

奈良・明日香村にある謎の石造物!その名も「マラ石」とは?正体不明の陽石のことを考えた
「マラ石」と同じ地区にある「石舞台古墳」(撮影:高野晃彰)


「マラ石」と同じ地区にある「石舞台古墳」(撮影:高野晃彰)

この石造物の名前の「マラ」とは、もちろん男性器すなわち陰茎のこと。「マラ石」は、男性器を象った石である陽石で、女性器を象った陰石とあわせて、陰陽石と称し、一般には豊穣や多産などの象徴として神聖なものとされているのです。

奈良県には、数多くの陰陽石があります。飛鳥地方では、奇祭「おんだ祭り」で有名な飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)の境内に林立する陽石が有名です。


奈良・明日香村にある謎の石造物!その名も「マラ石」とは?正体不明の陽石のことを考えた
「飛鳥坐神社」の陰陽石(撮影:高野晃彰)


「飛鳥坐神社」の陰陽石(撮影:高野晃彰)

また、奈良市の春日大社の摂社・水谷神社(みずやじんじゃ)の社殿前にある陰石などが知られています。

奈良・明日香村にある謎の石造物!その名も「マラ石」とは?正体不明の陽石のことを考えた
「水谷神社」の陰石(撮影:高野晃彰)


「水谷神社」の陰石(撮影:高野晃彰)

しかし、多くの陰陽石は、陽石と陰石を並べたりして、セットとなっていることが多いのですが、「マラ石」は単体で存在。妙な言い方になりますが、「孤高のイチモツ」とでも表現しましょうか、そんな独特な雰囲気を漂わせているのです。

ちなみに、マラ石という名称は、元国立博物館館長で、仏教考古学者の石田茂作が『飛鳥時代寺院跡の研究』という著書の中で、こう記述したことから広まりました。



■様々な説があるものの正体は不明

奈良・明日香村にある謎の石造物!その名も「マラ石」とは?正体不明の陽石のことを考えた
「マラ石」(撮影:高野晃彰)


「マラ石」(撮影:高野晃彰)

この「マラ石」の正体は一体何なのでしょうか。長さは地中から露出している部分が約1m。約30度の角度で、斜めに傾くように伸びています。地中にどのくらいの長さの石が埋まっているのかは不明です。

ただ、石の傍らに建つ説明板には、「本来は真っすぐに立っていた」とも書かれています。言い伝えによると、斜めに傾いてからは、倒れそうになるたびに里人が手助けをして、この角度にとどまっているとも。

奈良・明日香村にある謎の石造物!その名も「マラ石」とは?正体不明の陽石のことを考えた
「マラ石」の説明版(撮影:高野晃彰)


「マラ石」の説明版(撮影:高野晃彰)

そして説明版には、「対岸の丘陵をフグリ山と呼びマラ石と一対のものと考える説もある」とも記されています。フグリ山のフグリは、もちろん陰嚢(いんのう)のことです。
となると、飛鳥川を挟んで、陰茎と陰嚢が向かい合っている。なんとも不可解な位置関係ではないでしょうか。

奈良・明日香村にある謎の石造物!その名も「マラ石」とは?正体不明の陽石のことを考えた
「フグリ山」に連なる「ミハ山」(撮影:高野晃彰)


「フグリ山」に連なる「ミハ山」(撮影:高野晃彰)

また、フグリ山を明日香の神奈備山である「ミハ山」に見立て、その山中にある磐座を陰石とし、そのセットに「マラ石」をあてる説もあります。神奈備とは「神のいます辺」という意味で神聖な場所です。磐座は神が降り立つ巨石ですので、神聖であるに違いません。しかし、現地でその磐座を見る限り、やはり陰石と見なすのは無理があるようです。

奈良・明日香村にある謎の石造物!その名も「マラ石」とは?正体不明の陽石のことを考えた
「フグリ山」山中の磐座(撮影:高野晃彰)


「フグリ山」山中の磐座(撮影:高野晃彰)

一般社団法人 飛鳥観光協会のHPには「石棒状の立石の一種と考えられていますが、古代の子孫繁栄や農耕信仰の対象なのか、坂田寺の境界なのか謎の石造物です。」と記されています。坂田寺は、飛鳥大仏を造った鞍作鳥が造営に関わった鞍作の氏寺ですが、わざわざ陽石を境界を示す石にするものでしょうか。この辺りも判然としません。



■災厄・疫病を封じる結界に立つ石

奈良・明日香村にある謎の石造物!その名も「マラ石」とは?正体不明の陽石のことを考えた
「マラ石」(撮影:高野晃彰)


「マラ石」(撮影:高野晃彰)

結局「マラ石」の正体は謎としかいいようがありません。ただ、石の近くを流れる飛鳥川は、『万葉集』に「故郷を偲ぶ 清き瀬に 千鳥妻呼び 山の際に 霞立つらむ 神奈備の里(歌意:清い瀬に、千鳥は妻を呼び、山の間に霞が立っていることだろう。飛鳥の神奈備の里では)」(巻7・1125)と読まれていることから、飛鳥川およびその周囲は、神聖な場所として認知されていたようです。


「マラ石」から南へ行った奥飛鳥の稲渕集落には「男綱」と呼ばれる勧請縄があり、さらに南へ行った集落にも同じ勧請縄の「女綱」が掛けられています。

奈良・明日香村にある謎の石造物!その名も「マラ石」とは?正体不明の陽石のことを考えた
飛鳥川にかかる男綱(撮影:高野晃彰)


飛鳥川にかかる男綱(撮影:高野晃彰)

飛鳥から奥飛鳥に入る際には、この男綱・女綱の綱の下を潜らなければなりません。綱の中央には、男綱では男性の陽物を象ったものが、栢森の女綱では女性の陰物を象ったものがくくり付けられています。

男綱・女綱は、豊作と子孫繫栄を願い、川下からの災厄や疫病を封じる意味があるとか。古代において川は重要な交通路であるとともに、交易のための流路でした。飛鳥地方を流れる飛鳥川も例外ではありません。飛鳥川は、下流で大和川に合流し、やがて大阪湾に注ぎます。

つまり、大阪湾に上陸した物資や人が大和川・飛鳥川を遡って飛鳥に至りました。川は、飛鳥京に暮らす人々に恩恵をもたらすとともに、疫病などの脅威ももたらしたのです。

「マラ石」も存在する場所から、あるいは災厄や疫病を封じる結界に関係があったのかもしれません。災厄や疫病がなければ、子孫繁栄にも繋がります。

たった1本で、倒れそうになりながらも立ち続けている。
そんな「マラ石」を見ていると、思わず「頑張れ!」と声をかけたくなります。未来永劫、この地に残ることを願ってやみません。読者の皆さんも、明日香村に行く機会があれば、ぜひ「マラ石」まで足を運んで下さい。

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