■江戸時代以降の「和菓子」の展開

【前編】では、小豆やあんこが、昔は日本でどのように扱われていたのかについて、和菓子の歴史を踏まえながら説明しました。



邪気を祓う魔除け!?古くから神聖な食べ物とされた「小豆」はいかにしてスイーツとなったか?【前編】
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【後編】では、甘い和菓子が日本で発展していった経緯や、現代の粒あん・こしあんの違いなどについて見ていきましょう。


弥生時代から鎌倉時代までは、小豆はスイーツではなくあくまでも豆料理の材料として使われていたと考えられます。高価な輸入品である砂糖で贅沢に味をつけて食べられるようになったのは、室町時代からでした。

よって、砂糖入りのあんこは貴族しか食べられないものだったのです。宮中や寺院では、その権威をアピールするために砂糖が使われていたほどです。

邪気を祓う魔除け!?古くから神聖な食べ物とされた「小豆」はいかにしてスイーツとなったか?【後編】


最中和菓子

甘い和菓子が庶民の口にも入るようになったのは、貿易によって砂糖の輸入量が増えた江戸時代以降。この時期から、あんこを使ったまんじゅうが作られるようになりました。

また、徳川吉宗の統治時代には国産の砂糖が多く作られるようになり、和菓子の種類も増えていきます。

さらにお菓子屋も、上層階級を相手とする高級感のある「御用菓子屋」と、庶民相手に団子やまんじゅうを販売する「餅菓子屋」に分かれていきました。

高級感のある上品な和菓子は、御用菓子屋が多かった京都で進化したものです。一方、江戸ではそこまで和菓子は進化しませんでしたが、そのかわり甘味をうまく使った料理が多く生まれました。

つまり、この時期既に、関東・関西でスイーツ文化の違いがあったということです。



■粒あん・こしあん

さて、小豆もまた、スイーツの材料として使われる機会が増えてきます。
しかもかつてのように上流階級に限らず、庶民も気軽に口にできるようになりました。

小豆あんの分類では「粒あん」と「こしあん」の二種類が有名ですが、実は「こしあん」の方が料理としては歴史が古いと言われています。

一説によると、こしあんは製造工程が大変なことから、気の短い江戸っ子が省略して作ったのが粒あんだとか。

それを踏まえて考えると「粒あんは江戸で人気があったということは、一方でいかにもお公家様あたりが好みそうな上品なこしあんは京都で人気だったのではないか?」と想像してしまいますね。

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粒あん・こしあんそれぞれを使ったおはぎ

しかし実は、現代は粒あん派は関西に多く、こしあん派は関東の方に多いと言われています。より具体的に言えば、石川・岐阜・愛知県より西は粒あん派が多く、富山・長野・静岡県より東はこしあん派が多いのだとか。

あるいは、愛知県が両派の境界線だという説もあるようです。有名な「小倉トースト」が両派に分かれた原因ではないかと考えられているそうです。

面白いのは、そうした傾向を踏まえて作られているお菓子もあるという点です。これはトリビアになりますが、有名な井村屋の「あずきバー」は、地域によって小豆あんの使い方を変えた商品を販売しているとか。

また、粒あん派とこしあん派は年齢や性別によっても異なります。ある調査によると、若い人はこしあん派、年経るにつれて粒あん派になる傾向があり、さらに男性なら粒あん派、女性ならこしあん派が多くなります。




■豆の味わいへの理解

粒あん・こしあんのことはともかく、日本人が小豆あんを好んだのは文化的な理由もありそうです。

西洋のお菓子には、バニラやバター、チョコレートなどからも分かる通り、香りを重視する傾向があります。

その一方、日本人は香りよりも舌で感じる美味しさを重視する傾向があります。それで、甘みとともにアミノ酸の旨味が感じられる小豆あんを好むようになったのかも知れません。

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小豆

もともと日本人は味噌・醤油・豆腐に納豆など、生まれたときから無意識のうちに「豆文化」にどっぷり漬かっています。よって私たちの舌は、豆の味わいに対する繊細な感覚を持っていると言えるでしょう。

だからこそ、小豆あんの美味しさもよく分かるのではないでしょうか。

参考資料:
角田製菓 酒まんじゅう
dressing
ダ・ヴィンチWeb

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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