書記官 俊古(としふる)蔵人所でちょくちょく見かける俊古。
久保田 武人(くぼた・たけと)
蔵人所(くろうどどころ)で働く書記官。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイト(登場人物)より
いつもいるんだかいないんだか、ただの賑やかしキャラかと思いきや、藤原道綱(上地雄輔)と親しげに話していたのが強く印象に残っています。
大河ドラマ「光る君へ」公式サイトより
何だ、あなたも笑顔とか見せるんですね……何かとピリつきがちな政治の現場に、しばしの癒しをもたらしてくれました。
さて。そんな俊古は、姓も記されていないしどうせ創作キャラなんだろう……と思っていたら、実はモデルがいるようです。
今回は俊古のモデルと思われる橘俊済(たちばなの としなり)を紹介。果たして彼は、どのような生涯をたどったのでしょうか。
■橘俊済(橘俊古)の生涯

菊池容斎『前賢故実』より、橘諸兄。
橘俊済は生没年不詳、橘高臣(たかおみ)の子として誕生しました。その別名を俊古というそうです。
【橘俊済・略系図】という訳で「光る君へ」の俊古は、この橘俊済がモデルなのではないでしょうか。なので、以下は別名の橘俊古とします。
……敏達天皇-難波皇子-栗隈王-美努王-橘諸兄-橘奈良麻呂-橘島田麻呂-橘長谷麻呂-橘海雄―橘茂枝―橘高臣―橘俊済(俊古)……
※諸説あり
橘俊古は藤原顕光(宮川一朗太)の家司として仕え、永年にわたりその政務を担いました。
その一方で自身は大和守(大和国の国司長官)に任じられ、相応に認められていたことが分かります。
長保3年(1001年)に三通の申文(もうしぶみ)を奉ったと言いますが、その内容が何だったのか、また聞き入れられたのかはよく分かりません。
この時、橘俊古は前大和守(さきの~。元職)であったため、おそらくは別の官職を願い出たのでしょう。
没年が不明のため、いつまで活動していたか定かではありませんが、主君・顕光と概ね同じくらいと考えられます。
最終的には従四位上まで昇り、橘俊遠(としとお)・橘俊堪(としひで)・橘俊孝(としたか)・橘俊範(としのり)らの子を遺しました。
■橘俊古・基本データ

橘俊古(イメージ)
生 没生没年不詳氏 族橘氏官 職大和守位 階従四位上両 親父親:橘高臣/母親:不詳兄 弟不詳妻 妾不詳子 女橘俊遠・橘俊堪・橘俊孝・橘俊範■終わりに
以上、平安時代に活躍した?藤原顕光の家司・橘俊古(橘俊済)の生涯をたどってきました。
大河ドラマ「光る君へ」では、少しずつ人間味が出てきて、感情移入しやすくなった俊古。
今後どのくらいまで活躍してくれるのか、久保田武人の好演に期待ですね!
※参考文献:
- 告井幸男『摂関期貴族社会の研究』塙書房、2005年8月
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
編集部おすすめ