歴史的に有名な貴族や戦国時代の武将なども、衆道を好んでいたことで知られています。
愛し合う江戸時代の武士たち…衆道(男色)の心得とは何か?武士道の教範『葉隠』かく語りき
江戸時代以前の男色は決して「快楽のため」だけではない?恒例の儀式や同志の契りを交わす意味も大きかった
今回は、室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)、6代将軍足利義教(あしかがよしのり)の、父から息子へと引き継がれた衆道の歴史をご紹介しましょう。
男性同士の愛「衆道」wiki
■3代将軍・足利義満が愛した能楽師・世阿弥
足利義満像(鹿苑寺蔵)wiki
室町幕府の歴代将軍の中でも、広く知られている人物といえばアニメ・一休さんでも知られる3代将軍・足利義満ではないでしょうか。
南北朝合一を成し遂げ、現代では世界遺産の「金閣寺」の建立、武家文化と公家文化が融合した北山文化を栄えさせる……など、日本に大きな影響を及ぼした政策・文化を打ち立てたことでも有名です。
そんな歴史的な偉業とは別に、知る人ぞ知るのが「美少年好みの男色家」であったこと。
当時、足利義満は「能」という伝統文化を熱心に支援していました。特に目をかけていたのが「観阿弥・世阿弥」(かんあみ・ぜあみ)親子で、彼らは義満の庇護を受け今日まで伝わる能の源流を作り上げたのでした。
「能」のイメージ(photo-ac)
世阿弥の美少年ぶりにひとめ惚れした足利義満義満と世阿弥の初めての出会いは、1374年(応安7年)、義満16歳、世阿弥11歳のときだったそうです。義満は新熊野神社で行なわれる観阿弥が率いる観一座の興行を観に出かけ、眩しく輝くほどに美しい世阿弥にすっかり一目惚れしてしまいます。
世阿弥は、南北朝時代の公卿、歌人であり連歌の大成者である二条 良基(にじょう よしもと)も、すっかり夢中になるほどの美少年だったそうです。
■死ぬまで続いた足利義満と世阿弥の関係
二歌川広重「祇園祭」(public domain)
美少年・世阿弥にすっかり魅了された足利義満は、1378年(永和4年)、祇園祭の桟敷席に世阿弥を伴い、同じ器で酒を飲みながら祭りを鑑賞し周囲を驚かせました。
桟敷席といえば、現代のVIP席。当時、能はまだ伝統芸能として世間に認められておらず、能楽師達の地位は低いものでした。
そんな世論は物ともせず自分の芸を磨いていった世阿弥。世阿弥と仲良くなり義満に取り入ろうと、世阿弥へのラブレターをわざと義満の目に触れさせ、嫉妬心を煽るなどの工作をする公家も登場いたそうです。
義満は、「花の御所」と呼ばれる豪壮華麗な屋形を作り、美しい阿弥と贅を尽くした暮らしを送っていました。時の流れとともに世阿弥の美しい容色にも老いが忍び寄りますが、二人の関係は続きます。
そして、1408年(応永15年)、義満が50歳で病死。義満と世阿弥の関係は途絶えたのでした。そんな義満の男色の血を色濃く引き継いだのが6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)です。
紙本著色足利義教像(重要文化財。妙興寺蔵)wikipediaより
【後編】では、父親同様に美少年を愛した足利義教の男色をご紹介しましょう。
【後編】の記事はこちらからどうぞ。
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